ぶら野球BACK NUMBER
改修直前、思い出の“西武球場”へ。
野球は儚く変わっていくものだから。
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byYasutaka Nakamizo
posted2019/06/21 08:00
メットライフドームの玄関口「西武球場前」。池袋から30分強の絶妙な距離感である。
“野球変態”伊賀大介氏がぶら野球参戦。
一塁側内野席に向かう際、ライオンズカラーの売店やトイレを眺めて懐かしい気分になった。お馴染みのうどん屋に新井園本店。前回来たのは2017年の巨人が12連敗目を喫した試合で、のんびり球場を堪能するような気分じゃなかった。今日は楽しもう。
長嶋監督時代のラケットラインが入った松井秀喜の55番ユニフォームに着替え、ついでに秋山幸二の背番号1タオルを首にかけるという往年の黄金カードリスペクトスタイルで、名物の狭山産地仕立て「さやま茶」を買い、いい感じで色褪せた昭和レトロ炸裂の座席へ。
「いやぁ、'87年の日本シリーズはあのへんで清原が泣いてたんですよねぇ」
そうそう、あのあたりでクロマティが怠慢プレーを……って、ええっ!? すでにもの凄くナチュラルにスタイリストの伊賀大介氏がそこに座っていた。
映画に演劇と超多忙なはずの伊賀さんは、相変わらずG党で仕事にも遊びにもハングリーだ。ときにハングリーすぎて、去年は伊豆ロケから宇都宮の清原球場までスーパービュー踊り子と新幹線とタクシーを乗り継ぐ山口俊並のタフさで、『ぶら野球』に緊急参加してくれた筋金入りの野球変態である。
一昔前の日本にはそういうオヤジたちがたくさんいた。なにせ'83年日本シリーズGL決戦は平日午後開催にもかかわらずテレビ視聴率は40%を突破。
子どもの頃、昼間から呑気に野球を見てるおじさんたちを謎に思ったものだが、自分が大人になってその気持ちがわかる。恐らく今の俺らと同じように、日常からのほんの数時間の逃避行で球場へ向かったことだろう。
炭谷の経験は伊達じゃない。
ふたりでクリスピーフィッシュ&ポテトとビールにさやま茶で乾杯していたら、巨人1番の亀井がいきなり先頭打者アーチ。その後、西武4番山川の3点タイムリーで逆転されるが、すぐさま炭谷のタイムリーでひっくり返した。
巨人の背番号27が打席に入る際は、三塁側の古巣ライオンズファンからも拍手が送られる。さすが、原監督にも「(ポジションを争う小林誠司と比較すると)銀ちゃんの方が1枚、2枚、まで言わないけど1枚半やっぱり上回っている」と言わしめた男の13年間のパ・リーグ経験は伊達じゃない。交流戦で先発マスクを被った試合は5勝0敗(18日現在)。チームの5年ぶりの交流戦Vに向けてキーマンとなっている。