ぶら野球BACK NUMBER
改修直前、思い出の“西武球場”へ。
野球は儚く変わっていくものだから。
posted2019/06/21 08:00
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
Yasutaka Nakamizo
「勝負せんかい!」
名門・熊本工業の天才スラッガーは、高校3年の地区大会決勝戦で自身の敬遠攻めに怒り、いきなりそう一喝したという。すると挑発され頭に血が上った相手投手は勝負を挑み、ライトスタンドに特大の逆転ツーランを打たれてしまう。
『前田智徳 天才の証明』(ブックマン社)で紹介されているエピソードだ。最近の解説をしながらよく笑う、丸くなったスイーツおじさん前田さんじゃない。尖りまくった若かりし日の孤高のサムライ前田は、プロ入り後も自チームが巨人の槙原寛己から平成唯一となる完全試合を食らい、マスコミからコメントを求められ、こんな言葉を残している。
「ワシと江藤さんのいないカープから完全試合して嬉しいかって、槙原さんに言うといてください」
いやいや……球界仁義なき戦いじゃないんだからと思わず突っ込みたくなる危険なガチンコキャラクター。'90年代のプロ野球はまだ交流戦や侍ジャパンも存在せず、チームが異なる選手同士は今よりずっと殺伐としていた。そう、野球界も変わった。気が付けば、セ・パ交流戦も15年目だ。
メットライフドームは改修工事真っ只中。
年に1度のお祭り。個人的に2019年にどうしても見に行きたかったのは、メットライフドームで開催される西武vs.巨人である。
今、球場周辺は埼玉県所沢市への本拠地移転40周年事業として大規模な改修工事の真っ只中だ。報道によると球場周りに加え、大型室内練習場やトレーニングルームを設けた選手寮も整備。'21年春の完成を目指し、総事業費は約180億円を見込んでいるという。これから日に日に新しく変わっていくのだろう。
自分は巨人ファンだが1979年の埼玉県生まれなので、強引に言えば西武ライオンズとは同郷の同い年である。
ぜひ最新のボールパークに生まれ変わる前にもう一度行っておきたい。もちろん思い出も数多い。まだ屋根のない西武球場のデーゲーム。生まれて初めて生観戦した日本シリーズで、二塁ベースに向かって頭から猛烈なヘッドスライディングをかましたのは広島カープの背番号51。それが、当時20歳の前田智徳だった。