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リーグ・アンでもマルセイユは別格!
OMの元名物会長タピを巡る壮絶秘話。
text by
アレクサンドレ・フィーベAlexandre Fievee
photograph byMichel Deschamps/L'Equipe
posted2019/05/19 11:00
ベルナール・タピ(写真中央のスーツ姿)が、会長就任後3年目でリーグ優勝を果たした時の写真。同年フランス杯も獲得し、2冠に輝いた。
怒りに任せてカントナを解雇。
1989年1月28日、OMはセダンでアルメニア地震の犠牲者追悼のための試合をトルペド・モスクワとおこなった。
観衆に罵倒され、レフリーから警告を与えられたエリック・カントナは、ユニフォームを投げつけてピッチを後にした。ベルナール・タピはこの不快な出来事を看過できなかった。
彼は即座にカントナとの決別を決意した。
ジャンピエール・ベルネス(タピのOM会長時代、タピの右腕として働いた)がそのときの様子を語る。
「オフィスの中でカント(カントナの愛称)と私はちょっと固まっていた。ベルナールは自分を抑えきれないように見えた。彼はカントにどうしてあんな振る舞いをしたのかから聞き始めた。
『あなたは自分の行いがクラブのイメージを損なったことを理解していますか?』
しばらくすると、当初からずっと下を向いていたカントナが、顔を上げてタピの目を見据えながらこう言ったんだ。
『会長、すみません。どうしてあなたは僕と敬語でしか話そうとしないのですか?』
『それは好きな人間としか“チュトワ(親しい表現)”で話す気がないからだ』
それで終わりだった。ベルナールの一言でカントナは壊れた。彼は捨てられた。勢いに乗ってタピはカントナの解雇を発表した」
「ディエゴ・マラドーナを獲るんだ」
「ある晩、タピから電話があった」とジェラール・ジリ(タピ会長時代の監督。'89年、'90年リーグ優勝)が語る。
「新しい選手をひとり獲りたいと、彼は私に伝えてきた。私はこう言ったのを覚えている。
『ベルナール、わかるだろう。僕らは今、連戦連勝中だ。グループはうまくいっているし競争も収まっている。新しい選手なんて取る必要があるのか?』と。
彼の答えはこうだった。
『選手をひとり獲ると言ったのは、選手をひとり余計に獲るわけじゃない。ディエゴ・マラドーナを獲るんだ』
私は自分が耳にしたことが信じられなかったから、彼にもう一度言ってくれと頼んだ。そしてすぐにマラドーナと、私たちで一体どんなプレーが可能なのかを考え始めた」