Sports Graphic NumberBACK NUMBER

<独占対談> デル・ピエロ×ピルロ
「アズーリのレジェンドが語る、勝者のメンタリティー」

posted2018/07/31 11:15

 
<独占対談> デル・ピエロ×ピルロ「アズーリのレジェンドが語る、勝者のメンタリティー」<Number Web> photograph by Asami Enomoto

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

PROFILE

photograph by

Asami Enomoto

イタリアが誇る稀代の“ファンタジスタ”と“レジスタ”。
現役を引退した今も、数々のタイトルを獲得してきた者の風格が漂う。
彼らは如何にして様々なプレッシャーを乗り越え、勝利を掴んできたのか――。
NTTドコモのイベント出演のために来日した2人に聞いた。

 イタリアが誇る、いや世界が誇る「ファンタジスタ」と「レジスタ」。

 アレッサンドロ・デル・ピエロとアンドレア・ピルロはイマジネーション溢れるプレーで世界のサッカーファンを魅了するとともに、クラブ、そしてイタリア代表で多くのタイトルを勝ち取ってきた。現役を引退しても今なお人気が高いのは、彼らが記録にも記憶にも残る、偉大なフットボーラーだからである。

 その彼らとて、逆風にさらされたことは一度や二度ではなかった。ケガに悩まされ、不調にあえいだこともある。それでも危機を乗り越えて、スケールアップしていく2人がいた。

 危機を乗り越えるメンタリティーとは? 勝者のメンタリティーとは?

 メンタリティーをテーマにファンタジスタとレジスタが語り合った――。

強いメンタリティーは自分の一部。

 良いときもあれば良くないときもある。デル・ピエロは1998年に左ひざ前十字じん帯断裂の大ケガを負いながらも、2001-2002年シーズンには16得点を挙げる復活劇でスクデット獲得に貢献する。以降、レギュラーから外されようとも、カルチョ・スキャンダルによってユベントスがセリエBに降格しようとも、彼は屈しなかった。セリエAに戻ってすぐに得点王に輝くなど多くの伝説を残してきた。

 ピルロもまた然りだ。ACミラン、イタリア代表で絶対的な地位を築きながらも、不振もあって10年間在籍したミランを離れて2011年にはライバルのユベントスへ渡った。すると再び輝きを取り戻し、無敗のままリーグ優勝をつかんだ。ピルロの存在なくしてユベントスの復活はあり得なかった。

デル・ピエロ「強いメンタリティーというものは自分の一部。キャリアを積んでいけば当然、ケガとかいろんなことが起こってくる。若いころから、そういうものを乗り越えていかないと夢や目標に到達することはできないと思ってやってきたから。時間とともに経験を積み、成長していくと強いメンタリティーを維持する能力が備わってくるという感覚を僕は得ることができた。それは自分の力だけではなく、監督やチームメイトといった周りの助けを得ることで可能になったとは思っているよ」

ピルロ「まさに自分もそうだね。小さいころは選手になりたいという目標があり、選手になってからは世界のトップレベルになるという目標があった。だから目の前で何が起ころうとも、目標に向かって突き進むことができたんじゃないかって」

【次ページ】 “サッカーを噛む”という文化。

1 2 3 NEXT

ページトップ