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甲府、名古屋、大分を支えた男の死。
誰より謙虚だったダニエルを偲んで。
text by
渡辺功Isao Watanabe
photograph byJ.LEAGUE
posted2019/02/19 17:00
つい2016年まで、ダニエルは日本でプレーしていた。彼の笑顔と勇姿は多くの人の心に今も焼き付いている。
「みんなの記憶に残る選手になること」
結果的に現役生活最後のシーズンとなった、この'16年。ダニエルは2ゴールを決めたのだが、そのどちらもがFC東京U‐23戦で奪ったもの。また同じ年の9月には、天皇杯2回戦で甲府と対戦。久々に立った山梨中銀スタジアムのピッチで、延長戦を含めた120分間フル出場。最後はPK戦8人目のキッカーとして、決着をつけるゴールを左隅に決めていた。
いまになって振り返ると、このとき彼はすでに闘病の身であったのだ。何かしら特別な想いがあったのだろうか。
大分でのプレーを最後にブラジルに戻り、去年からはかつて在籍した「カボフリエンセ」で、U-17コーチとU-20のアシスタントを務めていたという。
「アイツの指導したチーム、見てみたかったな」。安間はつぶやいた。
今後の目標や夢について、ダニエルが以前こんなことを話していた。
「現役生活を続けているうちの僕の目標は、自分の名前や活躍が、みんなの記憶のなかに残るような選手になること。どこのチームに所属したとしても、自分のプレーを観てくれた人が、一生忘れないようなプレーヤーでありたい」('11年11月10日取材)
この目標は確かにかなえられたと、多くの人が認めてくれるだろう。
Obrigado Daniel. Nao vou esquece-lo.