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甲府、名古屋、大分を支えた男の死。
誰より謙虚だったダニエルを偲んで。
posted2019/02/19 17:00
text by
渡辺功Isao Watanabe
photograph by
J.LEAGUE
神様の選択はときに不公平だ。そう思いたくなるような訃報がブラジルから届いた。
'09年から約7年半、ヴァンフォーレ甲府、名古屋グランパス、大分トリニータと、3つのJクラブでプレーしたDFダニエル・シルバ・ドス・サントス(登録名ダニエル)さんが、2月10日の朝、肺がんのため亡くなったという。36歳の若さだった。
なにもそこまで遠くへ弾き飛ばさなくてもと言いたくなるほどの、豪快なヘディングでのクリアに、ストライドの大きな直線的なドリブル突破は迫力満点。186cm、79kgの体格もあって外見はコワモテだが、チビッ子ファンを見かけると、みずから歩み寄っては腰をかがめ、優しく頭を撫でてあげる。
リーグ戦が終わると、何かと理由をつけては帰国を急ぐブラジル人選手も多いなか、「俺は上手くなりたいから。もっといろんなことを教えてくれ」と、年末の最後までチーム練習に参加する真面目さの持ち主で、多くのチームメイトやサポーターから愛された。それだけに、早過ぎる別れには驚きと悲しみが広がった。
家計を助けるために15歳から会社勤め。
1982年5月30日、リオ・デ・ジャネイロ州の南に位置する海沿いの街カボ・フリオの生まれ。父親は漁師をしていたが、暮らしぶりは楽ではなかった。14歳のとき、地元のサッカースクールにスカウトされて初めて本格的にサッカーを始めるのだが、3人兄妹の長男とあって、家計を助けるために15歳から働き始めると、いつしかサッカーをしている時間はなくなっていた。
ところがそんなある日、勤め先の会社に連絡が入る。
「そちらの会社で働いているダニエルを、ウチに欲しいんだけど……」
地元の小さなクラブ「リオダス・オストラスFC」からだった。詳しく聞くと、サッカースクール時代の指導者が「リオダス・オストラスFC」のコーチに就いて、ダニエルのことを探していたのだという。
突然の誘いに困惑したものの、勤め先の社長も「ダメだったらウチの会社に戻って、また働けばいいじゃないか」と背中を押してくれたこともあり、挑戦を決意。フットボーラーへの第一歩を踏み出す。