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フランスではすでに“王様”扱い!?
ムバッペ、栄光に包まれた2018年。
text by
デーブ・アパドゥーDave Appadoo
photograph byStephane Mantey
posted2019/01/11 11:30
20歳にしてフランスサッカー史だけでなく世界のサッカー史に永遠に消えない名を刻むこととなったキリアン・ムバッペ。
7月15日:歴史とのランデブー。
ロシアで生じたのは最も起こりそうにない化学変化だった。
サッカー史上最も偉大な選手であるペレが、マラドーナにもジーコやロナウド、ネイマール、メッシにも送ったことのない賛辞を、アルゼンチン戦のムバッペのパフォーマンスに対してツイッターで表明したのだった。
ムバッペもまた自身のソーシャルアカウントでペレに応えた。
「王様はこれからもずっと変わることなく王様のままです」
だが、本人の意志とは関係なしに、世間はふたりの類似性を話題にした。とりわけ『パリジャン』紙は、ペレ以降(1958年スウェーデン大会、17歳8カ月で記録)では決勝戦の史上最年少ゴール(19歳6カ月)をあげたムバッペを、ペレの後継者と書きたてた。
ペレ自身もこう述べている。
「もしキリヤンがこのまま続けて私の記録に並んだら、私ももう一度スパイクを履かなければならないかも知れない……」
サッカーのレジェンド――それも史上最高のレジェンドからのお墨付きを得たムバッペの人生は、これまでと同じではない。もちろん彼は現役の世界チャンピオンであるが、同時に伝説の仲間入りも果たしたのだった。
8月18日:トゥヘルとのランデブー。
世界王者のタイトルを獲得しながら、ムバッペはすでに次の野心を抱いている。
他の世界チャンピオンたちがまだバカンスを過ごしている間に彼はさらに先に進もうとしたのだった。
8月18日のリーグアン第2節、アウェーのギャンガン戦で彼はPSGへの復帰を果たした。だがそのPSGは、(前任者ウナイ・エメリではなく)トーマス・トゥヘルに率いられるPSGであった。
さし当たってトゥヘルは、ネイマールとの関係の確立に全力を注いでいた。とはいえパリにはもうひとりの絶対的なスターがいることに、彼はすぐに気づいた。
トゥヘルがムバッペをピッチに送り出したのは後半スタートからで、このときPSGはギャンガンに0対1とリードされていた。ところがムバッペの2ゴールで、PSGは試合をひっくり返してしまった(3対1の勝利)。
これが意味するところは明らかである。ムバッペはネイマールの代役などでは決してない。
彼は今やPSGの絶対的な攻撃の切り札であり、トゥヘルにとっても無視できない存在である。