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女子サッカー初のバロンドール!
世界中の女子選手が読むべき受賞談話。 

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フランク・シモン

フランク・シモンFrank Simon

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photograph byJean-Francois Robert/L'Equipe

posted2018/12/30 16:30

女子サッカー初のバロンドール!世界中の女子選手が読むべき受賞談話。<Number Web> photograph by Jean-Francois Robert/L'Equipe

サッカー史において永遠にその名前が刻まれたアダ・ヘゲルベルグ。賞の創設による、女子サッカーのますますの発展に期待したい。

17歳で初めて国外でプレーを。

――初めて外国でプレーしたのは?

「より高いレベルでプレーするには国外に出ていくしかなかった。

 ノルウェーでリーグの得点王になって、別の世界で新たなチャレンジをするべきだと考えました。17歳でまだ高校も卒業していなかったけど、両親がよく理解してくれて私と姉のアンドリーネの後押しをしてくれたんです。

『うまくいかなかったら家に戻って来ればいいから』と言って、彼らは私をドイツに送り出してくれました。

 そこで得た経験が、次にリヨンに行くためのいい準備になったのです。当時の決断がなかったら、今こうしてOLでプレーしていなかったと思う。

 家を出るときは、たとえどんなに苦しくてホームシックになっても2年は頑張る――と心に決めていました。

 人間として必要なステップだったし、選手としてもとても大きな経験だった。おかげで成長ができました」

代表デビューは酷いプレーだったが……。

――初めて代表に選ばれたのは?

「17歳でドイツに行く直前のことでした。ベルファストでの北アイルランド戦で、得点もできなかったし酷い試合でしたね(笑)」

――最初のワールドカップは?

「2015年のカナダ大会で、北米大陸に初めて行ってとてもいい経験ができました。

 人工芝でのプレーも、天然芝と何も変わらず苦にはならなかった。ベスト16でイングランドに敗れたけどいい思い出になっています(3得点をあげて大会最優秀若手選手にノミネートされた)」

【次ページ】 助監督からの電話でOL行きを決意。

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