フランス・フットボール通信BACK NUMBER
女子サッカー初のバロンドール!
世界中の女子選手が読むべき受賞談話。
text by
フランク・シモンFrank Simon
photograph byJean-Francois Robert/L'Equipe
posted2018/12/30 16:30
サッカー史において永遠にその名前が刻まれたアダ・ヘゲルベルグ。賞の創設による、女子サッカーのますますの発展に期待したい。
助監督からの電話でOL行きを決意。
――初めてOLのことを知ったのは?
「代表キャプテンのイングリッド・ステンスランドがOLに所属していて、チャンピオンズリーグ決勝で彼女がプレーするのをテレビで見ましたけど……。
でも私が当時意識していたのは、スウェーデンのロッタ・シェリンだった。私にとっての女子サッカーは彼女がイメージだったし、OLがビッグクラブだと知ったのも彼女を通してでした」
――リヨンから最初のコンタクトがあったのは?
「正確には2014年の夏でした。
その数か月前に、ポツダムはチャンピオンズリーグベスト16でOLに勝っていて、代理人からOLが興味を示していると電話があった。その直後に――すでにバカンスに入っていたけれども――助監督を務めていたソニア・ボンパストルからも電話があって、『OLがどんなクラブか説明したい』と言われた。それで行くことに決めました」
名物会長の女子サッカー界での貢献。
――はじめてジャン・ミシェル・オラス(OLの名物会長。女子サッカーのよき理解者としても知られる)と話したのは?
「最初の契約にサインしたときです。
私の知っているオラスは、常に笑顔をたやさず陽気でとても寛大な人物で、彼がこれまでに成し遂げてきたこと、特に女子サッカーに対して貢献してきたことには、心から敬意を抱いています。私のことも信頼してくれているし」
――リヨンでの最初のゴールは?
「ホーム初戦となったギャンガンとの試合で、クロスを左足で振り抜いて、最初の公式戦で決めることができて心からホッとしたのをよく覚えています」
――最初に仲良くなったチームメイトは?
「カミーユ・アビリ(フランス代表DF)で、毎日のように当時私が宿泊していたホテルに会いに来てくれたんです。
そのときからここは特別なクラブで、特別なグループなんだと理解できた。
サインするときには何の疑問も抱かなかったけれども、本当は疑念でいっぱいになっても何の不思議もなかった。
でもすぐに素晴らしい人たちばかりであることに気づいて、彼女たちは両手を広げて迎えてくれたから、私もすぐに打ち解けることができました」