JリーグPRESSBACK NUMBER
家長昭博と本田圭佑は中学から心友。
ホンマのケンカと、海に行ったり。
text by
塚越始Hajime Tsukakoshi
photograph byAFLO
posted2018/12/27 10:30
日本代表時代の一コマ。本田圭佑と家長昭博、1986年6月13日生まれの2人が描くキャリアは数奇だ。
バスケの1on1でも……。
合宿先の宿舎に、バスケットボールのゴールが設置されていた。G大阪ジュニアユースの選手たちが「1on1」をやり出した。すると気付けば、家長と本田が本気のバトルを繰り広げている。
「もう1回」「いや、もう1回や!」
「やはりセンスがあって、2人とも、そういった遊びでもセンスを感じましたね」と島田監督も目を細めて見ていたが……。やがて白熱しすぎて、これではケガをしかねないと判断し、レフェリー(監督)ストップがかかった。
プロになってからは、今度は本田が日の当たる場所に立つ。本田は2008年の北京五輪代表に選ばれ、家長は落選した。そして北京で惨敗を喫した本田だが、VVVフェンロとCSKAモスクワで飛躍を遂げ、日本で初めてワールドカップ3大会連続でゴールを奪うなど日本代表を牽引する存在になる。
一方、家長はG大阪で主力の座を掴みきれず、2008年にレンタル移籍した大分トリニータで右膝前十字靭帯損傷の大怪我を負う。その後復活を遂げたものの怪我との格闘を続け、C大阪、マジョルカ、蔚山現代、G大阪、大宮と渡り歩いた。そして昨季、川崎への移籍を果たし、周りのレベルの高い選手たちと呼応し、ついに最高の輝きを放った。
日本代表のエースとなった本田、そしてJリーグの最優秀選手に選ばれた家長。運命の出会いを果たした向上心の塊だった少年2人は、それぞれの形で頂点を極めた。
「練習後には海に行ったり」
ちなみに、常にぶつかり合っていたわけではない。世代別の代表チームではよく同部屋になった。時間が空いた際は部屋で2人並んでポータルのDVDプレーヤーで映画や海外のドラマシリーズを鑑賞して過ごすことも多かったという。イメージすると、ちょっと不思議な風景だ。
家長の20代前半の言葉。ちょっと男臭いのだが、それも社交辞令ではなく、本音で言っていたのだと分かる。
「ホンマのケンカもしました。些細なことで、どっちも引かない。それが数え切れないぐらいあった。本田はとことんまっすぐな性格で譲らない。自分もそこでは絶対譲らない。そんな感じでした。
かといって、後々に引きずることもない。練習後には海に行ったり。仲も良かった。親友であり、よきライバルでもありますから。何より1人の人間として尊敬している。アイツからはサッカー以外でも学ぶべきことが多い。僕の人生においても大切な存在になっている」