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家長昭博と本田圭佑は中学から心友。
ホンマのケンカと、海に行ったり。
text by
塚越始Hajime Tsukakoshi
photograph byAFLO
posted2018/12/27 10:30
日本代表時代の一コマ。本田圭佑と家長昭博、1986年6月13日生まれの2人が描くキャリアは数奇だ。
天才・家長と必死に追う本田。
家長と本田。以前に2人から、それぞれについての話を聞いたことがあった。
その話を今改めて振り返ると、いろいろと現在へと新たにつながってくる。
「小学生の段階で、すでにずば抜けていた」(当時の島田貴裕G大阪ジュニアユース監督、現・G大阪ユース監督)のが家長だった。本田でさえ「(プロの)アキがあのまま中学生になった感じ。5、6人をひとりでぶち抜いていましたから。まさにガンバ期待の星でしたから」と認めるタレントだった。
15歳以下のオールスターの大会と言えたメニコンカップで、家長は西軍の10番をつけた。そんな「天才」家長に対して、成長過程にあった本田はなんとかして追い付き、追い越そうとしていた。
もちろん、自分も負けていない、という自負もあったはずだが。
練習中や試合中、グラウンドでは互いに要求し合った。端から見たらケンカしているように見えるぐらい激しく。実際、本気のケンカをしたこともあったそうだ。しかも、何度も。
「本気でぶつかり合えて最高」
家長はこう振り返っていた。
「(要求し合って熱くなることは?)別にしょっちゅうでした。数え切れないぐらい(笑)。まあ、どっちも『俺はこう思う』っていうのが強いんで、自然とそうなっていたというか。試合中であれば、ごく自然、普通のことではあったと思います」
何より忌憚なく本音をぶつけてくれるのが本田だったと言う。
「しょうもない話もするけど、細かいプレーについて、ダメ出しもしょっちゅうされていました。そうやって、ハッキリ言ってくれるのはアイツぐらい。俺にとって、欠かせないヤツですよ」
そして本田はそんなヤンチャな時代に知り合えたからこそ、“心友”にもなれたと言っていた。
「正直、最高ですよ。そうやって本気でぶつかり合える仲間がいるっていうことは。今から(21歳頃)出会ってそこまでできるようになる仲間は、そう出てこない。やっぱりやんちゃな時期に知り合っていないと、できないことだと思いますから」