炎の一筆入魂BACK NUMBER
カープ優勝のために外したブレーキ。
鈴木誠也が戦う「あの日」の記憶。
text by
前原淳Jun Maehara
photograph byKyodo News
posted2018/09/28 11:50
シーズン30本塁打、そして昨年大ケガを負った鈴木誠也が敢行したヘッドスライディング。優勝への想いを感じさせるプレーだった。
気づけば開幕一軍が見えてきた。
途中離脱したシーズンの悔しさ、ケガへの不安、来季へかける思い……、バットにすべてをぶつけるように、振り続けたのかもしれない。
あの日から131日目、2018年1月1日、新しい年が幕を開けた。1年の中で希望に満ちあふれた1日も、鈴木はまだ希望を抱ける状態にまで回復していなかった。
「(開幕に)間に合わないかもしれない」
漏らした言葉に偽りはない。それでも162日目、2月1日の春季キャンプは一軍で迎えた。競争の舞台に身を置きながら、復帰へのギアを上げていった。
初日から柵越えを連発。打撃に問題がなかったことで、周囲は早期復帰を確信していたかもしれない。だが、違う。その日ごとの動きに細心の注意を払った。
再発や再離脱は避けなければいけないが、ときには無理をしなければいけない。ときにはヒヤリとすることも起きた。首脳陣とトレーナー、鈴木本人が密に連係を取りながら、復帰のプログラムは進んでいった。
本人だけでなく、トレーナーも、開幕に間に合う確信は持てていなかったに違いない。それでも1日1日を積み重ねた結果、気づけば開幕一軍が見える軌道に乗った。
「キャンプのときは本当に『大丈夫かな』という感じでしたけど、そこからは本当に順調にうまくいきすぎていたくらいでした」
「ストレスは溜まるけど、我慢」
あの日から219日目。3月30日、4番で開幕を迎えた。同点の3回。2打席目に勝ち越し二塁打を放ち、これが決勝打となった。華々しい復帰劇もまだ万全ではなかった。いや、今もまだ万全ではない。
今年はケガを克服したシーズンではなく、ケガと戦い続けたシーズンでもある。
開幕直後に患部とは違う箇所に痛みが出て、一軍選手登録を抹消された。しばらく休みながらの出場が続き、シーズン半ばには左すね付近に自打球を受けて欠場した時期もあった。
打撃でリーグトップクラスの成績を残す一方で、鈴木は再発しないための我慢を続けていた。外野守備でのチャージが緩み、ベースランニングでもブレーキをかけざるを得なかった。
「ジレンマはあるし、イライラします。もともと内野安打が多いタイプですし、右中間の緩い当たりなら二塁も狙っていた。意識してやってきたことができないので、ストレスは溜まりますけど、そこは我慢」
自分を抑えながらプレーしなければいけないことが、何より苦しかった。