バレーボールPRESSBACK NUMBER

柳田将洋が明かすプロ転身の理由。
「社員時代は先が見え過ぎていて」 

text by

了戒美子

了戒美子Yoshiko Ryokai

PROFILE

photograph byAFLO

posted2018/03/31 17:00

柳田将洋が明かすプロ転身の理由。「社員時代は先が見え過ぎていて」<Number Web> photograph by AFLO

柳田将洋はドイツ挑戦1年目を楽しそうに過ごしている。キャプテンを任された事もあり、一人称も「オレ」に変わったという。

「社員時代は先が見え過ぎていたんです」

 柳田は実に丁寧に言葉を選びながら、「あくまで僕の場合は」と多くの意見の枕や語尾につける。つまり、彼個人の経験や意見にすぎず、異なった見方の人もいるだろうと含ませながら話す。

――大学3、4年の頃はどんな風に将来像を描いていました?

「サントリーか他に決めるかという時点で、バレーボールを社員としてやりきることは決めていました。だいたい35歳まで現役でプレーできればいいというイメージでした」

――現役をやめたあとについて、どうイメージしていました?

「シンプルにそのまま仕事に移行ですね、他の先輩方もそうでしたし。その中で、サントリーのコーチとしてチームに貢献することも考えていました」

――それがサントリー入団3年目にはプロとして、独立することを選択しました。

「代表に選ばれて活動し始めたというところも大きいですし、あとは……、社員時代は先が見え過ぎていたんです。入社から10年ほど先までは社員としてバレーボールだけをする、バレーボールを辞めた後はこんな仕事をする、そういうところも見えてるというか。

 なので、どういうモチベーションで続ければいいのだろうという思いがありました。W杯(2015年、日本は6位に)でそれなりに数字を残して、ファンの人もついてくれたと思うんですけど、自分自身が応援してくれる人のために何ができるのか、すごい広くいうと自分がやることが何のためになるかわからないというか。

 例えばサインを書くとして、僕が何枚書いたところで、結局僕は10年後にはバレー界から身を引くことになります。その時にバレー界には一体何が残せるんだろうというのが、自分の中で少しずつ疑問符がついていったんです」

――一方で社員として守られているし、10年先以降の保障もありますよね?

「守られてはいるけれど、自分で行動もできないのが現実なので。何をすればこの状況を変えられるんだろうと思った時に会ったのが、酒井大祐('06年にJTサンダーズとプロ契約)さんでした。酒井さんに出会い、酒井さんのプロ意識だとかに少しずつ興味を持ちました。考えてることがそのままプレーに出ている、そこに魅力を感じたというのもあるんです」

――具体的にどういうところで影響を受けました?

「主にバレーボールに対する意識に影響を受けたんです。酒井さんは周りとの差を出す、結果を出すということと、チームの成績を出すための自己犠牲という2本の柱を持ってしっかりやっているとすごく感じました。その上で自分のための時間を作り出している。そこが、まわりとは違うなと僕の目からはそう見えました」

――会社員の自分は甘いなと?

「僕は酒井さんを見て、自分は甘いなと思いました。このままだとだめだなと。このまま変わらずに毎年キャリアだけをつみかさねていく。酒井さんもJTからサントリーにきて、環境の変化にも迫られた時期があったんです。そういう人の言葉をダイレクトに聞くと、よりプロになることに魅力を感じました。環境が変わって何か変えることを考えられるのはおもしろいなと思いました」

【次ページ】 プロへの転身、そして海外移籍。

BACK 1 2 3 4 5 6 NEXT
#柳田将洋
#東京五輪
#オリンピック・パラリンピック

バレーボールの前後の記事

ページトップ