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イタリアの超スポーツエリート家族。
ブッフォン家に伝わる王者の伝統。
text by
バレンティン・パウルッツィValentin Pauluzzi
photograph byL'EQUIPE
posted2018/02/08 07:00
ブッフォン家では、スポーツをすることそのものが人生であった。写真は、ジャンルイジ・ブッフォンの母マリアの円盤投げの光景。
国内記録まで持っていたが……五輪には落選。
「女子円盤投げの57m54は、17年間にわたりイタリア最高記録でした。もちろん五輪標準記録も上回っていたけど、私は安定感を欠いていたから陸連はミュンヘン五輪('72年)代表には私を選ばなかった。
もし参加しても、ソビエトとキューバの選手たちには勝てなかったでしょうが……素晴らしい経験になっていたでしょうね」
失意のマリアは現役引退を決意し、ほどなくして長女グエンダリナが生まれたのだった。
「長女の出産は、1973年5月14日15時43分。私が砲丸投げのイタリア国内記録15m43を打ち立てた日の、ちょうど1年後のことでした」
姉も妹も、イタリアのプロバレー選手として活躍した。
1978年1月28日に生まれた末っ子のジャンルイジ同様に、長女“グエンディ”も、また妹のベロニカ(どちらも夫はスポーツ選手)も、イタリア女性の国民的スポーツといえるバレーボール界で活躍した。
グエンダリナが語る。
「ふたりとも身長が1m83cmあって体格には恵まれていたうえに、両手でボールを抱えて生まれてきたの(「生まれながらに才能があった」の意)。庭では洗濯の紐をネット代わりにして、いつも2対2のバレーボールの試合をしていた。そのうえ両親がよく遠征に出かけたから、移動ばかりの生活にも子供のころから馴染んでいましたし」
長女はカラーラの地元チームでプロデビューし、16歳で家を出てトップ選手としての生活を始めた。12年の間にペルージャで2度のスクデットと1度のイタリアカップを獲得。またマテラのチームでは'96年にヨーロッパ・チャンピオンズリーグ優勝を果たした。
それは、弟がまだ1度も手にしていないタイトルでもある。
「とても誇りに思っている。だってチームに外国籍選手はひとりしかいなかったのに、ロシアの強豪エカテリンブルグを破って優勝できたのだから。イタリアスポーツ界全体の勝利でした」