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イタリアの超スポーツエリート家族。
ブッフォン家に伝わる王者の伝統。
text by
バレンティン・パウルッツィValentin Pauluzzi
photograph byL'EQUIPE
posted2018/02/08 07:00
ブッフォン家では、スポーツをすることそのものが人生であった。写真は、ジャンルイジ・ブッフォンの母マリアの円盤投げの光景。
父親の影響でジャンルイジはサッカーへ邁進した。
また、彼女はイタリア代表選手として、チェコでおこなわれた'93年のヨーロッパ選手権(4位)と、翌年の世界選手権(グループリーグ敗退)にも出場を果たした。
妹のベロニカもセリエAで数年を過ごしたが、膝の故障が彼女の選手生命を短くしていた。
そうした環境のなかで、「大きな赤ん坊」のニックネームを戴いた弟は、家族からの影響を自然に受けていた。
「彼は私たちの練習によくついてきた。ボール拾いが彼の役目でした」とグエンダリナは当時を振り返る。
「様々な才能に恵まれていたけど、迷うことなくサッカーへの道を突き進んだ。たぶん父の影響でしょう。スポーツの百科事典のような人であらゆることに通じていたけど、地元のサッカーチームの監督として成功を収めていましたから。ただ、父の誠実さは諸刃の剣でした。より高いレベルに到達することを妨げた。彼はあまりに実直な人間でした」
スポーツのおかげで、母として幸せだったこと。
とはいえ父親のみならず母親譲りでもある謙虚さは、息子にも着実に受け継がれた。
「私たちの人生は、スポーツを媒介にした素晴らしい冒険だったと言えるでしょう」とマリアは強調する。
「スポーツのおかげで私たちは、ディスコやドライブ、深夜の帰宅といった他の親たちが抱える不安を私たちは抱かずに済みました。夜は死ぬほど疲れていて、子供たちは休む以外に何もすることができなかったから(笑)。
ただ、生来の才能だけで十分な恩恵を受けてきたわけではありません。
スポーツのある生活は、私たちにとってごく自然なものでした。嫌なことがあったとすればただひとつだけ……子供たちが我が家を早くに離れていったのは辛い代償だったと言えるかもしれません。
とりわけ90年代の初めは、子どもたちの全員が私の家に残らなかったので。でも大事なのは、家族の関係はいつでも再構築できる、ということです」
現在、彼女には2歳から14歳までの孫が7人いる。
そのうちの誰かが、スポーツ界でさらなる輝きを放つことになるに違いない。