フランス・フットボール通信BACK NUMBER
イタリアの超スポーツエリート家族。
ブッフォン家に伝わる王者の伝統。
text by
バレンティン・パウルッツィValentin Pauluzzi
photograph byL'EQUIPE
posted2018/02/08 07:00
ブッフォン家では、スポーツをすることそのものが人生であった。写真は、ジャンルイジ・ブッフォンの母マリアの円盤投げの光景。
母の父はバレーボールの代表選手として大活躍した。
パルマで数年間を過ごした若きジジは、街が生んだ最も偉大なアスリートのひとりである母方の祖父の話を幾度となく聞かされていた。
1937年にマッサに生まれ、1m98cmの長身を誇ったカルロ・アルベルト・モワゼは、15シーズンにわたりバレーボール選手を続け、イタリア代表にも17歳から選ばれていた(72試合出場)。彼もキャプテンの腕章をつけてふたつのヨーロッパ選手権とふたつの世界選手権に出場したのだった。
ふたつのスポーツの名門家系が、ついに出会った時。
フリウリとトスカナの名門の家系は、1966年にローマ南のフォルミナ――五輪のための有名な陸上競技施設――で出合った。
かつての砲丸投げ国内ジュニア記録保持者であるアドリアーノ・ブッフォン(ジジの父親)は、1964年の東京五輪に19歳で出場した早熟な選手だった。
ある練習で彼は、砲丸投げのフィールドをぼんやりしながら横切る大きな体躯(1m85cm)の女性に文句を言った。
その女性こそがマリア・ステラ・マソッコであった。
母も、才能を高く評価されたアスリートだった。
「本音を言えば砲丸投げは女性向きの競技とは言えないから、そんなに好きではなかったの。円盤投げを選んだのは、その魅力に憑りつかれたからでした」
とジャンルイジの母・マリアは当時を振り返る。
イタリアのスポーツ強化の総本山であったフォルミナに、最初に招集された4人の女性のひとりであるマリアは、そこで将来の夫とともに体育学教授のディプロム(大学卒業証明書)を取得したのだった。
アドリアーノは期待された活躍をすることはできなかったが、マリア――兄のダンテ・アンジェロも15年間にわたりバスケットボールの選手として活躍した――は国内タイトルを幾つも獲得し、イタリア記録も打ち立てたのだった。