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森岡隆三監督が体感したJ3の実態。
限られる予算とバス移動10時間。
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2018/01/04 17:00
森岡隆三にとって初のトップチーム経験は苦いシーズンとなった。しかし鳥取での戦いはまだ続く。
1+1を3にも4にもするために、鳥取へ。
2010年、鳥取はJFLからJ2への昇格を決めた。当時はまだJ3がなかったことも幸いだったが、岡野雅行、服部年宏など元日本代表選手を中心に、他を圧倒する戦力を擁していた。そんな快進撃に地元は沸いた。
しかし、2013年に行われた入れ替え戦で敗れてJ3へ降格。
2014年は4位、2015年6位、2016年は16チーム中15位だった。財政問題を理由にJ2のライセンスが与えられなかった時期もある。
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2014年、練習拠点がホームスタジアムのある鳥取市から米子市へ移る。その距離、約100キロ。鳥取のホームスタジアムの試合でもあっても、バスで2時間あまりの移動を強いられる。練習場へ足を運んでくれる米子市民も、鳥取市での試合観戦をためらうような距離だ(年に数試合は米子でも開催)。この状況も、クラブに悪影響を及ぼしている。
成績、集客数、経済問題と負の要因が積み重なり、クラブ予算も減少し、2017年度の人件費は前年度を大幅に下回った。にもかかわらず、森岡が監督就任のオファーを受ける。その理由はなんだったのか?
「まず、現在強化部長を務める吉野(智行)の『これからいっしょにガイナーレ鳥取を作って行こう』という熱意ですね。僕にとってのサッカーの醍醐味、面白さは『1+1が2じゃなくて、3にも4にもなり、10にもできるかもしれない』というところなんです。鳥取の1が小さく、ビッグクラブに勝てないとしても、1+1なら負けない、そんなチーム作りに関わり、挑戦ができることに魅かれました。もちろん『1』が大きいに越したことはないですが(笑)」
監督としての武器は、物事を具体的に伝える力。
京都サンガで現役引退後、森岡は京都や佐川印刷京都でコーチを、京都ユースでは監督を務めていた。彼にとって監督業とは、どんなものなのだろうか。
――ご自身の監督としての武器は、どのようなところにあると考えていましたか?
「物事をいかに具体的に伝えるか、という部分には自信がありましたね。僕が高校(桐蔭学園)のときに指導してくれた李国秀さんは、サッカーを論理的に示してくれる指導者でした。だから、プラスとして感覚的なものをどう言葉に変えていくのかというのは、現役時代から常に考えてきました。
どんな戦術を立てても、選手たちがそれを遂行してくれなければ机上の空論で終わってしまうので、いかにそれを言葉に変えて伝えるかが重要だと思います」