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俊輔が磐田で過ごした最高の1年間。
「名波さんはすごく勉強になった」
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2017/12/05 11:00
中村俊輔のジュビロ移籍は、周囲の想像以上の成功を納めた。手探りの時期を越え、次は何を見せてくれるのだろうか。
磐田への移籍は、決して安全な選択肢ではなかった。
生え抜きとして戦い続けてきた横浜を去り、磐田への移籍を決断。中村自身にとっても大きな挑戦となった1年を「単純にサッカーと向きあえる、当たり前のことを感じられたのが大きい」という。横浜での最後のシーズンは、刷新したフロントとの方向性の違いなど、ピッチ外のことで悩む時間も少なくなかったのだろう。
中村の加入は、磐田にとって「救世主登場」という高い注目を自然と集めた。しかし同時に、38歳の選手がどこまでできるのかという疑問もあった。なにせ2016年シーズンの中村はリーグ戦19試合しか出場していないのだから。
現役時代、日本代表で名コンビを組み信頼関係を築いた名波監督と中村だったが、立場の違いがどんな反応を生むのか、誰にもわからなかった。
「プレッシャーしかないでしょ。一段階段を踏み外したら、どうなるかわからない。もしうまく回らなくて、ジュビロが残留争いをするようなことになったら、俺は批判されるし、もう歳だなと思われる」
監督よりで考えたり、選手よりで考えたり。
移籍というチャレンジによって、選手寿命を短くしかねないリスクを背負い磐田へ来た中村。豊富な経験とリーダーシップ、磨かれたサッカー観や技術、戦術眼はあっても、それを証明するのは結果でしかない。
尊敬の念と親しみを持ち、迎え入れてくれたチームメイトたちとの関係も含めて、中村は慎重に新天地のなかに自分の居場所を作っていった。
「大きなことをやって外れるのは怖い。でもだからといって、ちびちびやっていたら浸透しないから。たくさんのことを考えて、手さぐりじゃないけれど、工夫しながらの1年間。難しさも当然あった。
でも、外から来た人間だからわかることもある。そして、監督ができることと選手ができることも、その角度がまた違う。監督と選手との間に立っているわけじゃないけど、こっち(監督)よりで考えたり、こっち(選手)よりで考えたプレーをする。そんなふうにグラウンド内外で動いた。たくさん話しかけたほうがいい選手と、話しかけると窮屈に感じる選手がいるとか、考えることが多かった」