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本当はレアルではなくユーベだった!?
C・ロナウド、幻に終わった移籍の真相。
text by
バレンティン・パウルッツィValentin Pauluzzi
photograph byStephane Mantey
posted2017/11/13 08:00
レアル・マドリーとは2021年までの契約を結んでいるロナウド。次の更新は無い、と周囲に漏らしているらしいが……。
デビュー当時はそれほど注目されていなかった!?
スポルティングで彼にとってのプロとして最初の監督となったルーマニア人のラスロ・ベレニの話では、「多くの人が待ち望んでいた」と語るほどのロナウドの注目度は、かなり違ってくる。ベレニが語る。
「ポルトガル協会の承認を得られず1年間はトップチームで練習だけに参加した後の2002年9月に、彼はようやくプロデビューを果たした。そのときの状況はニクラエが負傷、ジャウデルは様々な問題を抱え、ジョアン・ピントは出場停止になっていて、チームにまともなストライカーがまったくいない状況だったわけだ」
ただひとり、夏の間にミランからレンタルで獲得したビタリー・クツゾフがいたが、ベレニはクツゾフをサイドに起用していたのだった。
「彼(ロナウド)は僕の競争相手であると同時に、遠征の際にはルームメイトでもあった」とクツゾフが当時を振り返る。
「噂ばかりで具体性はなかったけど、マルディーニやシェフチェンコ、インザーギらが僕のパートナー候補として話題になっていた。またメディアを賑わしていたのはリカルド・クアレスマで、クリスティアーノへの関心はだいぶ低かった。ただふたりとも、クラブよりポルトガルU-21代表の括りの中で語られることの方が多かったかな」
ロナウドはリヨンに行った可能性も。
とはいえ当時のロナウドがまったく注目されていなかったわけではない。監督だったベレニが当時のあるエピソードを語ってくれた。
「ギィ・ルー(オクセールの名物監督)が電話をしてきたが、(売り込まれた選手の)値段が高すぎて諦めた。
また財政状況を改善するために、フランスのあるクラブにクアレスマとクリスティアーノのコンビと、あるストライカーの交換トレードを申し出たが実現しなかった。
それは誰かって?
ちょっとデリケートな問題で答えられないよ」
ベレニは言葉を濁すが、そのころ彼がこだわっていたのはリヨンのトニー・バレルだった。
リヨンはCR7を獲得する機会を、みすみす棒に振ったのだった。