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柿谷曜一朗、波瀾万丈のセレッソ愛。
「このユニホームに初めての星を」
posted2017/11/03 09:00
text by
西海康平Kouhei Nishiumi
photograph by
J.LEAGUE PHOTOS
2005年12月3日、長居スタジアム。
第33節を終えてリーグ戦首位だったセレッソ大阪は、勝てば初優勝が決まる最終節・FC東京戦の終盤までリードを保っていた。だが、歓喜の瞬間が訪れようとしていたスタジアムは一転、サポーターの悲鳴で埋め尽くされる。
後半ロスタイム突入寸前の、今野泰幸の同点ゴール。
最終節で優勝を逃すのは'00年のファーストステージ以来のことだった。
再び起きた長居の悲劇を、翌年からのトップチーム昇格が内定していた15歳の柿谷曜一朗はスタンドから見ていた。
「プロに入る前で、ヤマちゃん(同期入団の山下達也)たちとスタンドで見てて。(追いつかれて)あんまり何も思わなかったですよ。自分が入る前に優勝したらおもんないな、というか」
そうジョーク交じりに当時を振り返るものの、あこがれてきた森島寛晃や西澤明訓らが涙する姿を目の当たりにした。
柿谷とセレッソの縁は、4歳の頃から始まった。
柿谷の歩みは、どこか育ってきたクラブの歴史と似ている。
4歳の頃にセレッソのスクールでサッカーを始め、高校1年でクラブ史上初めて飛び級でトップ昇格。「天才」と称され多くの指導者に認められながら、度重なる遅刻を理由に'09年6月に徳島へと放出された。
それでも徳島で地力をつけて'12年に復帰すると、後半戦からゴールを量産。'13年には東アジア杯で日本代表に初招集され、大会得点王となり初優勝に貢献すると、翌年のブラジルW杯に出場し、大会後にはスイスの名門バーゼルに移籍。だが、ここでまた不遇を味わったことで代表から遠ざかり、'16年にはJ2で戦っていたセレッソに再び復帰した。