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柿谷曜一朗、波瀾万丈のセレッソ愛。
「このユニホームに初めての星を」
text by
西海康平Kouhei Nishiumi
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2017/11/03 09:00
“ジーニアス”と称された男も27歳となった。才能の宝庫であるセレッソの旗頭として、初タイトルを手にすることはできるか。
久々の2トップに柿谷は生き生きとした。
シーズン開幕後、主戦場としたのが本職のFWではなく左MF。サイドに起点を作りたい指揮官のもと、これまでと違う景色のポジションでプレーを続け、昇格1年目から上位を争うチームを支えてきた。
手術をした影響が「気にならへんようになった」と本人が振り返ったのが、開幕から半年以上が経過した夏過ぎ。生き生きとプレーする姿を久しぶりに見たのは、それからしばらく経ってからだった。
クラブ史上初の決勝進出を懸けていた、G大阪とのルヴァン杯準決勝第2戦でのことだ。
山口蛍、杉本健勇ら代表勢を欠き、かつケガを抱えていた山村和也が間に合わなかったことにより、柿谷は澤上竜二との2トップで敵地のピッチに立った。均衡を破ったのは前半15分。秋山大地のパスからペナルティーエリア内に入り込み、巧みにDFをブロックしながら、左足で先制点を奪ったのが背番号8だった。
セレッソは1度は同点に追いつかれたものの、試合終了間際に木本恭生の決勝点が生まれてファイナルへと進出した。試合後、柿谷はこう語っていた。
「勝負できるポジションにいられるのは、久しぶりやったんで」
そう語る表情には、少なからず充実感があった。
「1年や2年でガンバに追いつける訳じゃない」
天性の技術と瞬発力から生まれるトリッキーなプレー。自由な雰囲気を漂わせつつも、周りを意識する繊細さも併せ持つ。いまだに掴めないキャラクターの持ち主は、クラブが歩んできた道のりをどう見ているのか。
「波のあるチームと言われてきて、今のように結果が出ている状況にもなったことがあるし、でも翌年はどうやったか。それはそれでチームの色と言ってしまえば簡単だけど……。こうやって1年間、集まってサッカーをやる仲間として、その年その年にできることをするのはもちろんだけど、1年や2年、頑張ったからってガンバに追いつける訳じゃない。そういう目線でやらなあかんというのを本当に思っている」