野球のぼせもんBACK NUMBER
「王監督が考え方を変えてくれた」
多村仁志、ケガと戦いきった22年間。
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2016/10/12 07:00
かつて在籍したDeNA、ソフトバンクはCSファイナルステージに進出した。多村の姿勢に学んだ選手も多い。
22年もやってるのにね。バッティングって奥深い。
試合後、多村は「やっちゃったよ」と苦笑いを浮かべつつ、悔しさが収まらない様子だった。
「あーもう、悔しいな。一瞬迷っちゃったんだよね。2点差で走者なしだったでしょ。フォアボールを取ろうというのが頭にあった。だけどそこに甘い球。打ちに行ったけど、その意識があったから『あ、バットを出しちゃった』と思ってしまい、最後の押し込みのところで力が抜けてしまった。ホントもったいないよ」
今季2軍戦では28試合58打席で14四球を選んでいた。コーチから「この打席はフォアボールを期待してるからな」と言われ、その通りにきっちり選んで出塁した試合もあった。目は、まだ衰えていないという証だった。
身振り手振りを交えて話し、また凡退を振り返ると悔しさがこみあげてくる。
「22年もやってるのにね。答えは出ない。バッティングって奥深い」
そうだ。22年間も現役を続けたのだ。あれほど怪我に泣かされた選手なのに。ときにはファンからそれを揶揄されながら……。
「王監督のもとで野球ができた。それが大きかった」
「ホークスで野球をやれたこと。王監督のもとで野球をできたこと。それが自分の野球人生の中で大きかった。考え方を変えてくれたから、長く野球がやれたんだと思う」
'04年にベイスターズで日本人として球団初のシーズン40本塁打を放った。'06年のWBCで記録した3本塁打、9打点はチームの二冠王だった。しかし、度重なる故障が一因となり、その年の12月にホークスへトレード移籍となった。当初は頭が真っ白になるほどショックだったが、当時の王貞治監督からの「この縁を大切にしよう」という言葉で吹っ切ることが出来た。
ホークスに来て初めて味わったのは、常に上位を争うという緊張感だった。その中でプレーすることで野球観に大きな変化が生じた。
「以前は体が100%の状態でなければ、グラウンドに立つのは失礼だと思っていた。だから少しの痛みでも休むことがあった。でも、ホークスの選手たちは違った。今やれる中での100%を発揮するんだと、無理をしてでもグラウンドに立っていた。それが本当のプロなんだと気づいた」