野球のぼせもんBACK NUMBER
「王監督が考え方を変えてくれた」
多村仁志、ケガと戦いきった22年間。
posted2016/10/12 07:00
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph by
NIKKAN SPORTS
あぁやっぱり……。あの時、引退をほのめかすようなコトを言っていたもんな。
10月1日、中日ドラゴンズの多村仁志が22年間のプロ野球選手生活に別れを告げることを表明したというニュースを見たとき、そう思った。
その半月前の9月16日、ナゴヤ球場のウエスタン・リーグ戦で久しぶりに再会した。試合後に二人だけでゆっくりと話をする時間があった。筆者が見慣れなかったホームのユニフォーム姿がやけに新鮮に映ったこと。そして未だに3桁の背番号に違和感を覚えることも、無礼は承知の上で率直な気持ちをそのまま会話の中に織り交ぜた。
最後の背番号は「215」だった。
昨年オフにベイスターズを戦力外で退団。それでも今年、育成選手という立場を受け入れてまで現役にこだわった。開幕を迎えた4月下旬、タマスタ筑後でのホークス二軍戦ではドラゴンズの4番に座っていた。春季キャンプ中に右足肉離れを発症して出遅れ、まだ実戦復帰したばかりだったにもかかわらず、だ。
WBCで戦った小笠原監督との強い信頼関係。
小笠原道大二軍監督に「思い切った起用ですね」と訊ねた。だが、「ん? 他に誰がいるんだよ」とあっさり返されてしまった。その日はファーム調整中だった平田良介がいたのに、だ(平田は3番での出場だった)。二人は'06年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でともに世界一に輝いた戦友。強い信頼関係をそこに感じた。
うまくいけば一部試合ではDH制が使える交流戦を機に支配下登録もあるのでは、という噂も耳にした。しかし、5月下旬に別個所を故障した。ようやく再度戦列に戻ったのは8月終わり。今季の登録期限はとっくに過ぎていた。
シーンは再び、ナゴヤ球場。
この日の試合、多村は2点ビハインドの9回裏、2アウト走者なしのところで代打で登場した。両手を絞るようにバットを握り、背筋を伸ばして構える立ち姿は健在だった。
いいタイミングでボールをとらえたように見えた。大きな放物線を描く、が、伸びない。打球はセンターフェンスのわずか手前で落ちてしまった。