野球のぼせもんBACK NUMBER
「王監督が考え方を変えてくれた」
多村仁志、ケガと戦いきった22年間。
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2016/10/12 07:00
かつて在籍したDeNA、ソフトバンクはCSファイナルステージに進出した。多村の姿勢に学んだ選手も多い。
300万円の年俸では、また来年もとはなれなかった。
'10年には140試合に出場して打率.324、27本塁打、89打点をマーク。チーム三冠の活躍でリーグ優勝に大きく貢献した。
現役生活の中で日本一にも世界一にも輝いた、通算195本塁打の右のスラッガー。それほどのスター選手が迎えた、厳しい今年の秋。しかし、多村との会話からは、今2軍だとか、立場が育成選手だとか、そんな悲壮感はどこにもない。野球の話になれば、本当に楽しそうな顔をする。会話も弾んだ。
話題は、去就にも及んだ。それでも多村は特に口調を変えることもなく、表情も柔らかいまま、自分の気持ちをスラスラと言葉に変えた。
「来年もまた育成選手でやるという気持ちはないな。だって、これ以上家族に迷惑をかけることはできないからさ」
ベイスターズ最終年の年俸は4600万円だったのが、ドラゴンズでは300万円へと激減していた。家族は妻、そして3人の娘がいる。一番上の子はもう高校生だ。今年1年間は単身赴任で名古屋に住み、休みのたびに横浜の自宅に戻った。どう考えても赤字だ。一定の蓄えがあったとしても、その後の長い人生を考えれば、「また来年も」とはなれなかった。
「野球から離れる自分が想像つかない。趣味だから」
この数日前に、ホークス時代のチームメイトと大阪で食事をしたという。その彼は介護施設を経営しており事業も軌道に乗せている。
「スゴイよね。社長だもん。俺は野球から離れる自分が想像つかない。だって、野球が趣味みたいなものだから。野球をしているときが一番楽しい。夜出歩くのも好きじゃないし、今は1人だから部屋に戻ったら、大体動画サイトで映画とか見てる。あと、唯一興味があるのは筋トレかな(笑)」
名古屋のメディア関係者からは「野球に対する姿勢も人柄も、若い選手にとても慕われていた。熱心に筋トレをする選手も増えたと思う。間違いなく多村選手の影響だった」と聞いた。かつて、自分が取材するホークスでも同様だった。
新聞報道によれば「いつか指導者に」と意欲を燃やしているという。第二の人生でも野球との縁はまだ深いはず。野球界への恩返しが実現する日がくるのを、期待して待ちたい。