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福留孝介の決断1つ1つに敬意を。
2000本の陰に何を捨ててきたのか。

posted2016/06/27 17:00

 
福留孝介の決断1つ1つに敬意を。2000本の陰に何を捨ててきたのか。<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

チーム最多安打、規定打席をクリアしている中でのチーム最高打率。福留孝介の決断の日々は、今も続いている。

text by

鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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photograph by

Naoya Sanuki

 カウント3ボール。振ると決めていた迷いなき打球は、広島の名手・菊池のグラブをはじいた。福留孝介、日米通算2000本安打。黄色と黒のタテジマを身にまとっての達成になった。

 日本で2つ、アメリカも合わせれば5つ目のユニホーム。一筋に同じ場所にいたわけではない。日米通算という枕詞がつく。だから、マツダスタジアムに駆けつけた虎党からの祝福も「愛情」より「敬意」の色が濃かった。ただ、それこそ、福留が誇るべきものだった。

「2000本打ったことで特別何かがあるわけじゃないよ。ただ、1つあるとすれば、俺は自分の進む道は全部、自分で決めてきた」

 人生を自分で決める――。聞けば、当たり前のように思える。だが、例えば我が身を振り返ってみると、本当の意味で誰のせいにすることもなく、決断できた岐路がどれほどあっただろうか。

地元の嫉妬と憎悪を振り切ってPLへ。

 25年前、まだ15歳の少年は独り、関門海峡を渡ると決めた。

 本土最南端に位置する鹿児島のさらに南端、大隅半島にすごい中学生がいる――。すでに高校野球関係者の間では「福留孝介」の名前はとどろいていた。鹿児島実業、樟南、鹿児島商……。県内の強豪校関係者が「我が校の魅力は……」とやってきた。その数、じつに11校だったという。だが、福留は母親に言った。

「僕は行かないから、聞く必要はないよ」

 周りが騒がしくなる前、すでに行く先を決めていた。高校野球の頂点に君臨していたPL学園。当時、鹿児島から大阪へ、しかも、あのPLへ“野球留学”した前例はなかった。九州全体を見渡してもなかった。周囲の目は冷ややかだった。

「どうせ3年間、レギュラーにはなれない」

「あいつが県内の高校を蹴って、PLに行ったら、あいつの弟も、後輩も、県内の強豪には行けない」

【次ページ】 7球団1位指名、近鉄の交渉権獲得、それでも社会人へ。

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