One story of the fieldBACK NUMBER
福留孝介の決断1つ1つに敬意を。
2000本の陰に何を捨ててきたのか。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byNaoya Sanuki
posted2016/06/27 17:00
チーム最多安打、規定打席をクリアしている中でのチーム最高打率。福留孝介の決断の日々は、今も続いている。
決断するということは、何かを捨てること。
その、一方で情に引きずられることはない。いざ、岐路に立てば、自分の心とだけ向き合うことができる。それが孤高のイメージをつくりあげていった。
独り、道を決断するということは何かを捨てるということだ。何かを背負うということだ。他者の助言に従えば、捨てるものも、背負うものも半分で済むだろう。だが、それを繰り返すうちに足かせが増えていく。いつしか、自由に翔べなくなる。
捨てる。背負う。決断を繰り返してきた男は今、タイガースでよくこう聞かれる。
「なぜ、勝負どころで打てるんですか?」
サヨナラ勝ちのお立ち台に決まってこの男がいるからだ。ただ、この質問に答えられるはずもない。だから、はぐらかす。
「う~ん、わからないですねえ」
だが、福留は知っている。何かを手にするためには、何かを捨てなければならないことを。
責任を自分で取る覚悟があれば「どうってことないよ」。
最終回、打てば英雄、凡退なら戦犯。そんな打席を何度もくぐってきた。歓声が大きいほど、胸の内に潜む恐怖に気づかされる。「打てなかったら……」。
そこが勝負の分岐点だ。ストレートか、変化球か。内か、外か。1つに決めて、1つを捨てる。ただ、捨てるのではない。覚悟を持って捨てる。
「変化球がきたら、ごめんなさい。それくらい腹をくくらないと打てないよ。三振して叩かれたっていい。自分の責任は自分で取る。その覚悟があれば、どうってことないよ」
あの2006年WBC準決勝、韓国戦の代打ホームランもそうだった。結果を背負い切ったスイングはいつも強く、大きい。凡退した後の言い訳など微塵も感じさせない。これこそ、15歳の時から独り、人生の決断をしてきた男が手に入れたものだ。
「ギャンブルはやらない。人生がギャンブルだから」
そういえば、今年の初め、スポーツの賭博の関係が取り沙汰された時にこんなコメントを耳にした。「勝負の世界に生きるスポーツとギャンブルには通じるところがある」。もし、これが真実だと思っている人がいるなら、福留のこの言葉を贈ろう。
「俺はギャンブルはやらないよ。だって、人生がギャンブルだから」
競技そのものが人生である人にとって、それと単なる賭博が並べられるはずなどない。刺激にもならない。