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栄光の“鹿島の10番”は北九州へ――。
東福岡高出身・本山雅志の夢は続く。
text by
蘇芳あかねAkane Suo
photograph byAkane Suo
posted2016/01/09 06:00
地元でボランティアとして参加している「WAKAMATSU CUP」での本山。
退団を公表して最初にオファーをくれたチーム。
――移籍先はどうやって探したんですか?
「すべてチームにお任せしました。いろいろ手伝おうかと言ってくれた方々もいたんですが、(鹿島の強化部長・鈴木)満さんから『自分が探すから』と言ってもらったので。自分で動いたらチームに失礼になりますし。でも、せっかくだから思いきり環境を変えてみたくて、同世代の選手がプレーしていたアメリカやオーストラリアリーグにはちょっと興味がありました。調べてみたら今は移籍のシーズンじゃないということがわかってすぐ諦めましたけど(笑)」
――ギラヴァンツに決めた理由は何ですか?
「退団を公表して、いちばん初めに正式オファーを出してくれたこと。すぐに柱谷(幸一)監督が鹿島まで話をしにきてくれたこと。この時点で、ある程度心は決まっていたと思います。プロ生活も長いですから、Jリーグのチームの運営が大変なことやチーム事情というか、編成の大変さとかも理解してますから。想定外だった選手を1人獲得するのがどれだけ難しいか……。そんななかで、すぐに具体的な話をしに来てくれるというのは、本気で自分を必要としてくれているんだとわかりますから」
――早々に返事をしないでもう少し待てば、いろんなチームから選ぶことも可能だったでしょう。
「実際、いくつか話をしてみたいというチームもあったようなのですが、お会いしてお話しを聞いているとスケジュール面でギラヴァンツの始動に間に合わないと思ったんです。チームが始動する日から合流したいですから、年内にお返事しました。あとは、プロになったときからずっと1度は地元に近いチームでプレーしたいとずっと思っていて。そうしたら北九州がオファーをくれた。ほんとうにうれしかったんです」
――東福岡高校の志波芳則総監督も「プロになった選手たちにはできれば地元でプレーしてほしい」とよく仰られてましたね。
「それもありますし。うちは兄弟が多いうえに商売をしていて、両親になかなか試合を観に来てもらえなかったから。いつか地元に近いチームでプレーして、元気にサッカーしてる姿を観てもらいたいと思ってました。北九州に入団が決まって両親はほんとうに手放しで喜んでくれた。ホームの試合は全部観に行くって」
北九州スタジアムの完成を楽しみに……。
――2年契約にしたのはどうしてですか?
「確かに最近はずっと1年契約にしてもらっていたんですけどね。新しくできる北九州スタジアムにふさわしいチームになるところまで自分に対して責任を持たせる意味で、スタジアム完成までの2年にしてもらいました」
――J2ということにためらいや不安はありませんでしたか? 施設、サポート面、試合スケジュールなど環境も大きく変わると思います。
「J2だからとかいう以前に、鹿島以外のチームでプレーしたことがないんだから、全力で挑戦するしかないですよね。環境という面では鹿島は最高峰ですから。でも、不思議となんだかワクワクする気持ちというか。伸二と対戦できるんだよね、とか」
――確かに、それは愉しみですね(笑)。