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栄光の“鹿島の10番”は北九州へ――。
東福岡高出身・本山雅志の夢は続く。
text by
蘇芳あかねAkane Suo
photograph byAkane Suo
posted2016/01/09 06:00
地元でボランティアとして参加している「WAKAMATSU CUP」での本山。
これからの選手人生で鹿島の経験がどう生きるか?
「とにかくまだ1度もチームに行ったことがなくて(ホームスタジアムの)本城陸上競技場も、小学校のとき何かの大会でプレーして以来だし。石神(直哉)や池元(友樹)くらいしかいっしょにプレーしたこともないしで大きなことを言える立場じゃないんですけどね。ピッチ以外でも、観客を増やすこととか、できることから何でもやりたいと思ってる」
――18年間、人生の半分を過ごした鹿島アントラーズに対して、今思うことは何でしょう。
「これは、引退するときに初めてわかることですよね。これからの自分次第でぜんぜん変わってきますから。このあとアントラーズにいたときより大きな仕事ができたらとか、これから出てくる課題がどんなものかによって、鹿島でのどの経験が自分にとって大きかったかわかってくるわけでしょ? 今後のアントラーズに関しては、自分が何か語るのは失礼だし……それに、どうしよう、なんかもうすっかり北九州の人の気分になっちゃってるよね(笑)」
――話を聞いてると、あいかわらず律儀というか、周りの人たちのことを気づかいながら今回の移籍を進めたように感じます。こういうときくらい、自分だけのことを考えてワガママに行動すればいいのに、小笠原満男選手みたいに(笑)。
「あぁ、でも、それだと自分じゃなくなるから(笑)」
17年ぶりの優勝を目指す母校を胸に刻んで。
「あ、けど1コだけ。Jの公式試合記録に載る自分の『前所属チーム』が東福岡高校じゃなくなるのは少し残念だったかな」
最後にそう言って、彼は子どもたちの待つピッチへ向かって走って行った。
卒業して鹿島に入団して以来、1度も移籍をしていないからこその“前所属チーム=東福岡高校”という肩書。「サッカーファンや関係者が公式記録を見るたびに『東福岡高校』を思い出してくれるだろうから」と、彼はずっと誇りにしていた。
しかし今シーズン、全国高校サッカー選手権で17年ぶりに準決勝(1月8日現在)まで勝ち進んだ「東福岡高校」を、世間は忘れないはずだ。
だから本山は安心して東福岡高校の広告塔をお休みしていいのだ。
鹿島の10番という大きな荷物も下ろして、軽やかに走る天才ドリブラー本山雅志……J2の試合に通うのが愉しみになってきた。