野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
横浜ファンが作ったデスマッチ団体。
FREEDOMSの夢は“聖地”ハマスタ。
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byHidenobu Murase
posted2015/09/06 10:40
“聖地”ハマスタでギリギリのタオルを掲げるFREEDOMSの佐々木貴。戦いも生き様も、そしてベイスターズ愛もただ事ではない。
大学という甘い世界で蕩けきった佐々木。
恋と野球。そして悪いことに、大学生活は佐々木にとって何もかも新鮮だった。友達とダベッて、サークルで飲み会をして、ケーキ屋でバイトして……それらはプロレスラーになるという目標も、体を鍛える目的も忘れさせるには十分すぎる破壊力だった。
一方、佐々木の上京と入れ替わるように、プロレスシーンには大きな出来事が起こる。1992年10月。地元岩手に「みちのくプロレス」が誕生。東京でも話題となった同団体。その噂を耳にする度に、佐々木は「岩手にいたらプロレスラーになれないと上京してきたのに、俺はプロレスと縁がないんじゃないか」と弱気になっていく。
だが、大学生という甘いまどろみは容易に奮起をさせてくれない。佐々木は、もはやどこにでもいるプロレス好きベイファン大学生になっていた。
「みちプロの設立が1年……いや半年早ければ、僕は今頃みちプロの選手になって、イーグルスを応援していたでしょうね。これぞ、運命のあやってやつでしょう」
体重62kgで取り戻したプロレスラーの夢。
覚醒は突然訪れる。
「将来、どうするの?」
大学3年生の春休み。マルハ娘のひと言は、迫り来る就職活動という現実問題だけではなく、その後の2人の未来に対する約束を期待してのものでもあったのだろう。
だがその言葉は、佐々木の胸の奥底で仮死状態になっていた大志に再び命を吹き込むことになる。
「あああ! 俺、プロレスラーになるんだった! 今まで何をしていたんだ! ヤバイぞ!」
混乱した佐々木はマルハ娘にいきなり誓った。
「俺、プロレスラーになる! 昔からの夢なんだ」
マルハ娘はひっくり返った。そして鯨のような怒号をあげる。
「はああああぁあぁぁ!? ナニをバカなこと言ってるの! 夢を叶えるための努力も何もしていない、体重62kgの大学生が今からプロレスラーになんてなれるわけないでしょ」
当然だ。当然すぎる。
だが、佐々木の本気は目が覚めてしまった。プロレスラーになるためにはどうすればいいのか? 困った時には電話帳。その精神が息づく'90年代、佐々木はタウンページにすがった。
「プロレスラーの道場なんてあるわけねぇ」
そう思っていたら、いた。
国際プロレスの名悪役にして、青果市場の英雄。鶴見五郎。そう、茅ヶ崎には彼がいた。佐々木は自転車でジムを探しあて、即入門。1万円の月謝の支払いに四苦八苦しながら、プロ養成講座(+5000円)に転向。プロレスラーになることを誓ってから1年半後の'96年9月15日には、IWA格闘志塾からデビュー。佐々木貴は、プロレスラーになっていた。