野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
横浜ファンが作ったデスマッチ団体。
FREEDOMSの夢は“聖地”ハマスタ。
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byHidenobu Murase
posted2015/09/06 10:40
“聖地”ハマスタでギリギリのタオルを掲げるFREEDOMSの佐々木貴。戦いも生き様も、そしてベイスターズ愛もただ事ではない。
兄弟子の戦う姿に惚れ、DDTに正式加入。
「'96年の秋にデビューしてから5カ月で5試合を経験するんですが、物足りなさを感じていました。なんというか……プロレスラーになったのに、しんどくないんです。鶴見さんは手とり足とり教えてくれましたが、厳しくはない。そのことに違和感があったんです。そんな時ですね、凄まじいプロレスを見てしまったんです」
1997年3月25日。時期こそずれているが鶴見五郎の下にかつていた兄弟子・高木三四郎がプロレス団体のプレ立ち上げ戦をやるため、佐々木にリング設営のバイトを頼んだ。そのメインイベント。故木村浩一郎氏扮する「スーパー宇宙パワー」と名乗る宇宙人のマスクをかぶったレスラーが、スターであるはずの高木三四郎をボコボコに殴り、蹴り倒し、関節を極めまくる。
予定調和などない、その圧倒的すぎる壊れた世界に、佐々木は一目惚れしてしまった。師匠・鶴見五郎とは滞納していた月謝を払うことを条件に円満退団、5月、高木の新団体“DDT”の旗揚げ戦には正式加入し、佐々木のプロレスラーとしての本当の人生がはじまった。
彼女の親に「そんな仕事」と言われ、カチン。
「とはいえ、立ち上げ当時はまったく無名の小さな団体。給料もなく、ジムでバイトをしても家賃も払えずメシも食えない。そんな時、子供を授かるんです。タイミングとしては最悪でしたが、意を決して彼女の両親に結婚の挨拶をしにいきました」
しかし、給料もほとんどない無名プロレス団体の若手に娘を喜んで嫁がせる親はなかなかいない。母親は佐々木を厳しく問い詰めた。
「佐々木さんね、プロレスをやっていらっしゃるって伺いましたけれども、そんな仕事で娘と子供を養っていけるんですか?」
当然の反応である。だが、佐々木は“そんな仕事”といういい草にカチンと来て、思わず啖呵を切ってしまった。
「お義母さん、仰られている事はごもっともなんですが、そんな仕事……に、僕は命をかけているんです。僕は必ず、このプロレスで家族を養ってみせますとも!」
険悪な空気が流れる。そんな時、間を取り持ってくれたのがマルハ父だった。
「まぁまぁ。若いんだから大丈夫だろう。2人で頑張りなさい」
マルハ父は鯨のような大きな慈愛で2人を包み込んだ。佐々木はますますベイスターズにのめり込んでいったのは言うまでもない。