野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
横浜ファンが作ったデスマッチ団体。
FREEDOMSの夢は“聖地”ハマスタ。
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byHidenobu Murase
posted2015/09/06 10:40
“聖地”ハマスタでギリギリのタオルを掲げるFREEDOMSの佐々木貴。戦いも生き様も、そしてベイスターズ愛もただ事ではない。
岩手から、プロレスラーになるために上京。
……一体、ナニを言ってるのだろうか。確かに今年の首位でヌカ喜びした途端、最下位に突き落とされる横浜ファンの様はデスマッチではあるが……。佐々木のベイスターズに対する愛情は異質。その深遠なる理由を、佐々木は自身のルーツから訥々と語り出した。
佐々木の出身は岩手県一関市。電車も車もバスも、田舎に泊まろうのロケすらも来ない、想像を絶するド田舎に生まれた。娯楽といえば平日に父親が見ていた野球と、週末に祖父が見ていたプロレス。昭和50年代半ば、もはやテレビは一家に一台あるのが当然にも関わらず、佐々木家には近所の人が集まり、野球やプロレス中継を見る習慣があったという。
「野球もプロレスも、ゴールデンタイムで流れていた時代。テレビをつければ巨人戦で、原中畑クロマティ吉村篠塚。おのずと巨人ファンになりますよね。でも、ある時違和感を覚えるんです。日本各地にプロ野球チームがあるのに、ナゼ東北にはチームがねぇんだって」
そんな思いが佐々木の将来に影響したのか、中学時代は4番ピッチャーで主将を務め、強豪校から誘いがくるほどだったが、高校ではプロレスラーになるため誘いを蹴って柔道部に入部。大学も4年間で体を鍛える「プロレスラーになるための上京」が目的のため、神奈川県茅ヶ崎市の文教大学を選んだ。
初めての彼女が生粋のベイスターズファン。
1993年。死にたいくらいに憧れた、ハマの港、大YOKOHAMA――。
だがそこは、湘南とは名ばかりの、地元と大差ない山の中。そんな僻地で若いツバメのやることと言えば、新歓コンパにコンパにコンパ。草野球サークルを覗くとチヤホヤされた。その勢いで「野球を観に行こう」と誘われて行った先が、横浜スタジアム。
そこで佐々木は衝撃を受ける。神奈川県にはプロ野球チームがあったのだ。人生初のプロ野球観戦、そこで見たのがこの年、大洋から生まれ変わったばかりの横浜ベイスターズだった。「ああ、これこそが、オラが村のチームでねぇが!」。佐々木は生まれてはじめての地元チームという響きに胸が熱くなるのを感じた。
「感動しましたね。当時もベイスターズは弱かったけど、勝ち負け云々じゃなくて地元のチームであることが嬉しくて、ハマスタに通いました。さらに大学2年生の時、生まれてはじめて彼女ができたことが決定打になるんです。彼女は横浜生まれの横浜育ち。生粋のベイスターズファンにして、お父さんがマルハの社員でした。これはもう運命だったとしか言いようがない」