MLB東奔西走BACK NUMBER
MLB復帰へ狼煙を上げた大家友和。
37歳にして進化するナックルボーラー。
text by
菊地慶剛Yoshitaka Kikuchi
photograph byKyodo News
posted2013/12/06 10:30
ナックルボーラーとしてメジャーへ再挑戦することになれば、日本人としては初。大家友和は、37歳にして新たな扉を開こうとしている。
時には指先が痛くなり、血を流すこともあった。
先の見えないまま、時には指先が痛くなり、血を流すこともあった。そうやって壁にぶつかりながら握りを変えていき、徐々にではあるがナックルボールで勝負できそうな感覚が芽生え始め、独立リーグへの挑戦を決意することになった。
「とりあえず進藤さん(富山監督)に投球を見てもらったら、『いいよ』と言ってくれて契約してもらいました。ただ自分も(ナックルボーラーを)始めたばかりで、監督自身もそんな選手を扱ったことはないわけです。僕も練習の方法がわからないしただ投げるだけですから。今振り返ればやはり全然(ダメ)だったんですね。
時折イメージ通りに行くんですけど、重要なところでは言うことを聞いてくれなかったりで、そこにチームの(勝つという)オーダーもありますからプロとしてそれに応えないといけない。そことの葛藤もありました。結果を出さなくてはいけない上にここからどうやって進化させていくのか。とても高いレベルでやれるとは思えなかったです。ただシーズン終盤になっていいボールがちょっと出始めていました」
シーズン終了後に京都に戻っても引き続きナックルボールを投げ続ける日々だった。
アリゾナで感じた疲れと、自身への失望。
それでもいいボールの確率はなかなか上がらず、ナックルボールに対する自分の感覚も膨らんでくることはなかった。そんな最中、エージェントの助言もあり、アリゾナでコーチから指導を受けることになった。だがアリゾナで待ち受けていたのは更なる壁だった。
「コーチから教わったことはそんなに真新しいことはなかったんですよ。僕がかつてナックルボーラーたちから聞いた話をするんです。そしてこれまで自分が1年間やってきたことは間違ってなかったということを言ってもらえました。
一方で自分の中ではそれができていないので、今後も今まで通りのことを続けなければいけないとも言われました。またその時投げていたボールを高く評価してくれたので自信にもなっていたんです。
ところが練習を続けていく中で疲れが溜まってきて思うようにいかなくなったんです。自分としては本物のナックルボーラーだったら投げていてこんなに疲れるはずはない。これでは本物に近づけないという感覚があったんです。
そしてある日、午前中はまずまずだったんですけど午後から凄く悪くなったんです。とにかく落ち込みましたし、がっかりしました。ナックルボーラーとしてこれが通用しないんだったら、もうやり尽くしたのかもしれないなと思うほどでした。これも経験の無さなんでしょうね。どうしていいかまったくわからなくなってしまったんです」