MLB東奔西走BACK NUMBER
MLB復帰へ狼煙を上げた大家友和。
37歳にして進化するナックルボーラー。
text by
菊地慶剛Yoshitaka Kikuchi
photograph byKyodo News
posted2013/12/06 10:30
ナックルボーラーとしてメジャーへ再挑戦することになれば、日本人としては初。大家友和は、37歳にして新たな扉を開こうとしている。
レッドソックス入団当時は、150kmを度々記録していた。
かつて日本のメディアは大家を“和製マダックス”と形容していた。
メジャー球界の中では決して速球派ではないが、制球力と投球術で相手打者を翻弄する姿が通算355勝を記録したグレッグ・マダックス投手に類似していたからだ。
1999年にレッドソックス入りした当時の大家は、決して球速が遅いわけではなかった。シーズン途中でメジャー初昇格を果たし、本拠地フェンウェイ・パークで登板した時は、球場のスピードガンで度々94~95マイル(約150km以上)を計測していたのだ。
だが、手術後の大家はそれだけの球速を投げられなくなっていた。
しかもだ。手術前と手術後では手の感覚にずれが生じていた。
普通に投球する限りにおいては大きな障害にはならなかったが、投手ゴロなどを処理する時に急いでボールを握ろうとすると、時折まったく手の感覚が掴めなくなっていた。当時、大家は何度かゴロを処理した際に一塁にとんでもない暴投をしている。その原因こそがこれだった。
かつての投球を取り戻せなかった末の決断。
そんな手術前とは違う状態の中で投げ続けていれば、フォームのバランスは崩れ身体に負担がかかってきても不思議ではない。
大家の肩の違和感はこうした流れの中で発生したものだと考えるのが妥当だろう。
そして2011年に右肩手術に踏み切ったが、本人が期待していたような投球を取り戻すことはできなかった。
そして大家が新たな活路として選んだ道がナックルボーラーだった。
「8月の終わりぐらいからですかね。今の自分の状態でもナックルボールなら投げられるかも、とふと思いついたんです。その時点で今、僕がどうやって勝負できるんだろうかと考えた時、もう一度高いレベルで挑戦するということはこれ(ナックルボール)以外、自分の中で思いつかなかったんです。ただナックルボールを投げる練習をしているうちに、再び自分のイメージ通りのボールが投げられるようになるという、わずかな望みも捨ててはいませんでした」