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<米ツアー挑戦の苦悩と光明> 有村智恵 「ゴルフが怖くなった時期もあった」
text by
及川彩子Ayako Oikawa
photograph byShizuka Minami
posted2013/10/30 06:01
思うように結果がでない日々――。狂い始めたプレーの歯車や
慣れない海外生活、言葉の壁を前に逃げ出したくなることもあった。
プロ8年目で味わった“恐怖”を彼女はいかに克服しようとしているのか。
海外挑戦で有村が体感した苦しみと収穫とは?
Number834号に掲載した密着ドキュメントを特別に全文掲載します。
夏らしい涼やかな花柄のワンピースとちょっとかかとのある靴に身を包み、ふわりとした柔らかい雰囲気を醸し出しながら、有村智恵は現れた。
フロリダ州オーランドから車で南西に約30分ほど走った場所にある『チャンピオンズゲート』。昨年12月に米ツアー出場資格を争うトーナメント(通称Qスクール)を通過した後から、有村はここを拠点に活動している。
シーズンが始まってからの5カ月間、このコースで練習した日は数えるほどしかない。でも、試合が終わってオーランドの空港に着き、ハイウェイから金色の文字で書かれた『チャンピオンズゲート』の文字を見ると、いつもほっとする。試合の結果が悪くても、コーチやスタッフが温かく迎えてくれ、「次があるさ」とポジティブな声をかけてくれる。もう第二の故郷になりつつある。
眼下にはいつも練習しているグリーンが見える。曇天の下、休暇中の人々がプレーを楽しみ、子供たちはコース横のプールで水遊びに興じながら、父親のホールアウトを待っている。夏休みらしい、のどかな光景を望みながら、有村は言葉を選び、今季の前半を振り返った。
クラフトナビスコ選手権での予選落ちに流した涙。
「自分のゴルフが見えなくなっていたんです。このままゴルファーとして大丈夫なのかな。これから先、ドンドン落ちちゃうんじゃないかな、っていう恐怖感がすごいありました」
プロ8年目の今季、日本で13勝、賞金獲得額3位という鳴り物入りで米ツアーに参戦したが、シーズン序盤は予選落ちが続いた。
4月上旬、メジャー第1戦のクラフトナビスコ選手権は、過去2回とも10位以内に入っている相性のいい大会だったが、まさかの予選落ち。試合中にルーティンを変えたり、ショットミスが相次ぐなど、有村らしさは影を潜めた。
「自分のゴルフができなかった。もっとシンプルに考えれば良かったです。でも、いい経験になりました」
敗戦のショックは大きかったが、試合後は大勢集まった報道陣に気丈に対応した。しかし、その輪が解けると、急に張りつめていた糸が切れ、大粒の涙が頬を伝った。拭っても拭っても止まらない。カリフォルニアの抜けるような青空の下、有村は長い間、肩を震わせていた。