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<米ツアー挑戦の苦悩と光明> 有村智恵 「ゴルフが怖くなった時期もあった」
text by
及川彩子Ayako Oikawa
photograph byShizuka Minami
posted2013/10/30 06:01
左手首をかばって失った、自分らしいスイング。
有村には頑なな部分もあるが、先輩たちのアドバイスを真摯に受け止めて実行する柔軟性も持ち合わせる。それは海外でプレーする上で、きっと大きな武器になるだろう。
「自分のゴルフが見えなくなっていたんです。体の大きなアメリカ人選手に(飛距離で)置いていかれるなら納得できるんですけど、自分より体の小さいアジア人選手にも置いていかれて……。皆、スピン量が多い球を打つから、グリーン上で止められるし。自分がアプローチ、パターで戦えるのかと言ったら、そうじゃなかった。何から始めたらいいんだろうって」
一昨年に痛めた左手首という爆弾も有村を苦しめていた。
「去年のQスクール頃からですね。手首をかばって自分の思うようなスイングができなくて……。それでも目の前に試合はある。試合でいい結果を残したいから、自分が思い描いていない球筋を選んでしまっていました」
今季も春先は、手首の調子が思わしくなく、テーピングをして試合に臨んだ。幸いにも痛みは出なかったが、本能的に手首をかばうようなスイングになってしまう。『ショットメーカー』の異名をとる有村にとっては致命的だった。
「どっちの球で行くか悩んでいる時点ですっごい大きな差なんですよね。向く方向も変わってくるし」
「嫌なら帰ればいい。でもまだまだアメリカにいたい」
迷いはほかのプレーにも連鎖していった。
「パターもアプローチも、ゴルフってこんなに難しかったっけっていうくらい、すべてが本当に怖かった」
だが、父の言葉をきっかけに自分のスイングを心がけてからは、随所に有村らしいきらりとしたプレーが出始めている。
ここまで13試合を戦って3試合で10位以内に入った。優勝が見える位置で戦い、一時、首位に立った試合もある。ルーキーとしては充分ともいえる。だがそれも春先のどん底を経験し、そこから歯を食いしばって這い上がったからこそ、掴むことができた結果だろう。
予選落ちが続いた時には、「なぜアメリカに来たんだろう」と自問自答した。何度も「もう帰りたい」と思った。
「アメリカ挑戦は自分が決めたことで、誰かに頼まれたわけじゃないですよね。だから、嫌なら帰ればいいやって考えるようになったんです。かといって帰りたいかっていうと、まだまだアメリカにいたい。じゃ、こっちでがんばろうと思ったんです」
ちょっと自虐的な感じでくすくすと笑う。
アメリカでプレーしたかった本当の理由を再確認した今は、自分が追い求めるゴルフを実現するために練習を重ねている。
「業師になりたいんです」
目をくるりとさせて、茶目っ気のある表情で続ける。