プロ野球亭日乗BACK NUMBER
いまだ決まらぬWBC日本代表監督。
混乱を招いたコミッショナーの責任は?
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byNaoya Sanuki
posted2012/10/01 10:30
2009年3月に開かれたWBC優勝の日本代表記者会見。写真中央、グレーのスーツが加藤コミッショナー。この時から3年半の月日は、WBC監督を決める期間としては十分ではなかったのか?
混乱に輪をかけた、加藤コミッショナーの無策。
だが、この原監督の言葉を、コミッショナーは適当に、軽く聞き流していたようである。
いま繰り広げられている代表監督選任の混乱を見るにつけ、そう思わざるをえなくなってくる。歓喜に酔いしれるばかりで、現場の声をまるで軽くしか受け止めなかった。そこから今が始まった、ということだ。
「次の大会では早めに監督を選任して、3連覇に向けた体制固めをしたい」
確かコミッショナーは、4年前にこう語っていたはずだ。
だが、実質的には何もしなかった。
いや、むしろ原監督の言葉を軽く考えるどころか、「もう一度、頼めば引き受けるだろう」ぐらいに考えていた節があるのが、混乱に輪をかけることになったといえる。
そして案の定、今回は原監督は固辞することとなった。それでも現役の監督にこだわり、ソフトバンクの秋山幸二監督に白羽の矢を立てたが、こちらも王監督の説得にもかかわらず、本人の辞退の意思は固かった。
コミッショナーの奥の手は“トップダウン”の命令か!?
実は原監督を口説いたときは、読売新聞グループ本社の渡邉恒雄会長から当時の滝鼻卓雄オーナーを通じて、トップダウンだった。
今回も特別顧問のソフトバンク・王貞治球団会長を通じて秋山監督の説得にあたってもらうなど、「上から頼めば」という狙いが見え見えなのである。こうした姿勢には、最後には第1回大会で最終的に王監督就任を決めたときのように、孫正義オーナーを通じて頼めば「なんとかなる」と考えていたのではないだろうかと勘ぐりたくもなる。
実はコミッショナーに関してはつい最近、こんな話が夕刊紙に載っていた。
つい最近、NPB担当の記者との懇親会が開かれた。そこである記者が「中国大使の席が空いていますが」と話題を振ったら、「何でアメリカ大使をした私が!」とおかんむりだったというのだ。
外務省の序列では、アメリカ大使がトップに位置し、そのトップを経験した「私」が何で格下の中国大使に、というわけである。
何とももはや……。