売り出し中の“ホープ”の中でも堤駿斗の評価は極めて高い。日本人初の世界ユース選手権優勝を筆頭にアマチュアで輝かしい実績を残して昨年7月にプロデビュー。今年5月、国内最速記録となる3戦目で東洋太平洋フェザー級王座に就いたのだから、ここまでは上々だろう。
「アマチュアエリートでも、プロで成功しなかった先輩方がいます。自分もそういうパターンになるのか、自分のスタイルは通用するのか。不安はありました」
同じボクシングとはいえ、アマとプロの違いは小さくない。たとえば1試合3分3ラウンドのアマと、最長で3分12ラウンドのプロは、陸上の短距離走とマラソンにたとえられるほどだ。堤も戸惑いながら、一つひとつ乗り越えてきた。
「8オンスのグローブ(アマは10オンス)が一番大きかったです。相手のパンチの威力が上がるのは予想してましたけど、自分が拳を痛めたのは想定外。びっくりしました」
小1で那須川天心の妹に敗れ、動き出した格闘技人生
生まれは千葉県千葉市。幼稚園の年長で極真空手を始めた。小学校1年生のとき、大会で同学年の女子選手に敗れた。この子がのちに格闘技界を席巻する那須川天心の妹だったことで格闘技人生が動き始める。両家に交流が生まれ、1学年上の天心がキックボクシングに転向して、2011年に「TEAM TEPPEN」を立ち上げると、堤も誘われて合流。週に1度、天心と一緒にキックの練習に励むようになった。
「当時はK-1が流行っていて、自分も子ども心に『格闘技で食べていきたい』と思ってました」
小学5年生から近所のボクシングジムにも通った。キックのためだったが、やがて「こっちのほうがあっている」と感じて中学3年生でボクシングに専念、快進撃が始まった。千葉・習志野高で高校6冠、世界ユース制覇、さらにはシニアの全日本選手権にも優勝した。高校生の全日本選手権制覇はあの井上尚弥以来の快挙だった。
勝てて嬉しい反面、KO勝ちのなさにもやもや。
'20年の東京オリンピック出場が視界に入ったが、大学生になった世界ユース王者はシニアの壁にぶち当たる。国内はまだしも、海外エリートのフィジカルの強さは予想以上だった。それでも日本代表の座は確保し、アジア・オセアニア予選に出場するも、五輪に手は届かなかった。
「ショックでしたけど、プロ入りに迷いはありませんでした。オリンピックは東京の1回と決めていたし、小さいころからの夢はプロだったので、そこはブレなかったです」
デビューから約1年でタイトルを獲得し、世界ランキング入りもはたした。それ自体は悪くないと思う。一方で、どうしても受け入れられない事実に苦しんでもいる。
「いまだにKO勝ちがないというのは、自分の中ですごくモヤモヤしています。ここまで勝ててうれしい反面、素直に喜べないなと」
堤のボクシングは多彩な左リードとフットワークを使って距離を操るスマートなスタイルだ。決して非力ではないし、KOが生まれるのは時間の問題だろう。無理に倒そうとするのは逆に良くないのではないか。周囲はそう考えるのだが、未来の世界チャンピオン候補はメディアの前でも「倒す」という言葉を繰り返し口にするのだ。
「KOはプロボクシングの華じゃないですか。仮に判定で勝てるのであれば、もっと強くなってKOで勝てるようにならないといけない。そこは譲れない。そう自分にプレッシャーをかけています」
「井上さんはスパーリングでも徹底的に倒しにくる」
堤は今、どうやったら相手をKOできるのかを常に考え、練習に反映させている。何より大事だと感じているのはスパーリングだ。対人練習でこそ倒す感覚やハートが養えるのではないか。井上とスパーリングをした記憶がそう語りかけるのだ。
井上が'19年5月、IBFバンタム級王者のエマヌエル・ロドリゲスと対戦する前、大学生だった堤はパートナーに指名され、井上と4、5回にわたり拳を交えた。
「強烈でした。自分にしてみればスパーリングというより試合です。毎回4ラウンド、あんな緊張感を味わったことはありません。井上さんは徹底的に倒しにくる、打ちのめしにくるんですよ。普段からそういう心構えでスパーをしていると感じました。試合であれだけ倒せるのはそれも理由かなと思うんです」
プロ4戦目は大みそかの東京・大田区総合体育館、相手はWBA15位にランクされているルイス・モンシオン・ベンチャーラ(ドミニカ共和国)に決まった。自身初となる世界ランカー対決のテーマはもちろん「プロ初のKO勝利」だ。
堤駿斗Hayato Tsutsumi
1999年7月12日、千葉県生まれ。習志野高校時代、高校6冠を達成。'22年プロデビュー、今年5月に行われた3戦目でOPBF東洋太平洋フェザー級王者に。3戦3勝(0KO)。171cm。