#1081
巻頭特集

「この先バレーボールにどう向き合っていくか」柳田将洋が“8番”を背負い続ける理由<残酷な代表落選、引力ある泥臭さ>

東京五輪を見据えてプロ転向を決断し、海を渡った。類稀なリーダーシップで主将として日本代表に献身した。夢は目前で絶たれたが、先駆者として歩みを止めず、自らの役割を果たす姿は、日本バレーの未来へと繋がる。

 鮮やかなピンクのユニフォームが映える。今年加入した東京グレートベアーズでも“8番”を背負う。

「あの時の気持ちを忘れないために、まだ8番をつけているんです。なんでプロになったのかという、スタート地点はあそこにあると思っているので」

「あの時」とは、2016年リオデジャネイロ五輪予選。人生の転機は? という問いに対し、柳田将洋はその大会を挙げた。

「リオ五輪の切符を獲れなかったあの時、プロにならなきゃいけないと思ったから。あの危機感によって、プロ転向だったり、海外移籍だったり、次の東京五輪に向けての決断を迫られたので」

 柳田が日本代表としてデビューしたのはその2年前、慶應義塾大学4年の時だった。翌年の2015年ワールドカップで、柳田や石川祐希が躍動すると、観戦チケットが完売。そのシーズンのVリーグは、柳田が入団したサントリーサンバーズの試合会場に人が押し寄せた。その頃まではどこか流されるまま進んでいたのかもしれない。

 だが、8番を背負い始めた'16年の五輪予選敗退をきっかけに、「この先バレーボールにどう向き合っていくのか考えました」。

 社員だった柳田はプロ転向を考えた。当時はプロ選手が多くなかった中、一番身近なプロで、尊敬する存在だったサントリーのリベロ酒井大祐に話を聞き、シビアな現実も聞いた上でプロを選択。'17年、ドイツのTVインガーソル・ビュールに移籍した。

 その決断を今、こう振り返る。

「(バレー)1本に絞ろうと。それが何か変えるきっかけになるのであればするべきだなと。それで沈むなら自分はその程度。海外に行くことは最初抵抗がありましたが、そんなこと言っていられない状況だった。結果的に行ってよかったと思っているし、そこでプロにならなかった自分よりは、絶対に今の自分の方がいいと断言できます」

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photograph by Kiichi Matsumoto
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