鮮やかなピンクのユニフォームが映える。今年加入した東京グレートベアーズでも“8番”を背負う。
「あの時の気持ちを忘れないために、まだ8番をつけているんです。なんでプロになったのかという、スタート地点はあそこにあると思っているので」
「あの時」とは、2016年リオデジャネイロ五輪予選。人生の転機は? という問いに対し、柳田将洋はその大会を挙げた。
「リオ五輪の切符を獲れなかったあの時、プロにならなきゃいけないと思ったから。あの危機感によって、プロ転向だったり、海外移籍だったり、次の東京五輪に向けての決断を迫られたので」
柳田が日本代表としてデビューしたのはその2年前、慶應義塾大学4年の時だった。翌年の2015年ワールドカップで、柳田や石川祐希が躍動すると、観戦チケットが完売。そのシーズンのVリーグは、柳田が入団したサントリーサンバーズの試合会場に人が押し寄せた。その頃まではどこか流されるまま進んでいたのかもしれない。
だが、8番を背負い始めた'16年の五輪予選敗退をきっかけに、「この先バレーボールにどう向き合っていくのか考えました」。
社員だった柳田はプロ転向を考えた。当時はプロ選手が多くなかった中、一番身近なプロで、尊敬する存在だったサントリーのリベロ酒井大祐に話を聞き、シビアな現実も聞いた上でプロを選択。'17年、ドイツのTVインガーソル・ビュールに移籍した。
その決断を今、こう振り返る。
「(バレー)1本に絞ろうと。それが何か変えるきっかけになるのであればするべきだなと。それで沈むなら自分はその程度。海外に行くことは最初抵抗がありましたが、そんなこと言っていられない状況だった。結果的に行ってよかったと思っているし、そこでプロにならなかった自分よりは、絶対に今の自分の方がいいと断言できます」
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