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「人の想いを背負って投げることの重さを…」松坂大輔が“負け続けた”五輪で学んだこと〜連載「怪物秘録」第29回〜

2023/08/02
メダル獲得を宿命づけられ、プロアマ混成で臨んだシドニー五輪。予選リーグから苦戦を強いられた日本は3位決定戦にまわる。銅メダルをかけ、松坂は再び韓国相手に先発のマウンドに立った。

 拮抗した力を持つ5強――日本、アメリカ、韓国、オーストラリア、キューバ。この中から1カ国は決勝トーナメントに進出できない厳しい戦いのシドニー五輪。プロアマ混成チームで参加した日本にあって、松坂大輔にはフル回転が期待されていた。

◆◆◆

 シドニーでは肝心なところで勝てませんでした。最初の予選リーグ、アメリカとの試合(2000年9月17日)で僕に勝ち負けはつきませんでしたが、延長の末、サヨナラで負けてしまいました(延長13回、杉内俊哉がアメリカのマイク・ニールにサヨナラ2ランを打たれて2-4で敗れた)。初戦を任せてもらったのに(10回、138球、被安打8、与四球2、奪三振5、失点2)チームを勝利に導くことができなかったことを僕は重く受け止めていました。

 国際試合では思うに任せないことがあるとわかっていたつもりでしたが、あの試合、外に広いと聞いていたストライクゾーンがちっとも広くなかったんです。1回裏、追い込んでから投げた勝負球がことごとくボールと判定されて、これはもう少し真ん中に集めなければダメだという感覚になってしまいました。だったら力でねじ伏せようと思い直して、まっすぐは高めに、変化球を低く投げることを徹底しました。

 痛かったのは先制された後の2点目でした。0-0で迎えた7回裏、左バッター(ジョン・コットン)にチェンジアップを右中間へ(三塁打)、右バッター(マイク・キンケード)にインコースのまっすぐをレフト前へ運ばれて、1点を先制されます。

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photograph by Kiichi Matsumoto

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