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「プロとアマの距離を縮めてくれたのは杉浦さん」松坂大輔の“メダルなし”シドニー五輪秘話〜連載「怪物秘録」第28回〜

2023/07/19
衝撃のデビューを果たしたルーキーイヤーの後半、五輪出場のため松坂はチームを一時離れて韓国・ソウルで全日本の投手として台湾戦に登板。見事勝利して、結果オリンピック出場権を得た。

 2000年のシドニー五輪出場を目指して、日本球界は初の試みとなるプロアマ混成チームを編成した。ペナントレースの真っ只中だった1999年9月、松坂大輔、古田敦也、野村謙二郎、松中信彦、初芝清ら8人のプロ選手が五輪予選を兼ねたアジア選手権が行われるソウルへと向かった。

◆◆◆

 プロへ入ったとき、まさかオリンピックに出られる可能性があるなんて思ってもいませんでした。ドラフトで希望球団に指名されなかったら社会人のチームへ入ることをイメージしていましたが、もしそうなったらオリンピックを目標にしようと思っていました。だから僕の中ではプロへ入る、イコールオリンピックをあきらめるということだと理解していたんです。

 それがプロに入ってからわりと早い段階で、もしかしたら子どもの頃から憧れていた全日本のユニフォームを着られるかもしれないと聞いて、嬉しかったのを覚えています。

 僕の中で全日本のユニフォームといえば縦縞のホーム用も浮かびますけど、じつは上が紺で下が白のビジター用のほうが好きでした。オリンピックはバルセロナもアトランタも観ていましたし、ソウルも記憶にあります。オリンピックをソウルまで観に行った友だちからお土産をもらいましたから……虎のマスコット(ホドリ)のキーホルダーでした。

 あのときの全日本は野茂(英雄)さん、潮崎(哲也)さん、古田(敦也)さんもいて錚々たるメンバーでしたよね。でもソウルのときの僕はまだ8歳でしたから、ドラフトのニュースか何かで振り返りの映像を観たのかもしれません。

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photograph by Kiichi Matsumoto

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