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「なぜ甲斐拓也を金銭で!?」松井秀喜新監督→7日後に電撃トレード…“松井とW主砲”落合博満と清原和博、村田修一も「巨人大物FA組」非情の放出史
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広尾晃Kou Hiroo
photograph byHideki Sugiyama
posted2026/11/08 17:00
松井秀喜新体制となった直後、甲斐拓也の電撃トレードを発表した巨人。これまでもFAなどで獲得した大物選手を放出してきた歴史がある
「松井を敬遠して清原と勝負」がパターンになり、メディアも清原を批判するようになる。
出場すれば長打力を発揮したが、2004年、監督に就任した堀内恒夫と意見が対立することが多くなり、2005年オフに「戦力外通告」を受ける。2000本安打、500本塁打、1000打点を記録した大打者としてはまことに異例のことだった。
清原自身はこのまま引退する意思を固めていたが、オリックスのシニアアドバイザーになっていた仰木彬に説得され、オリックスで2年間、現役を続行した。
小笠原でも“まさかの成績急落”に襲われた
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【小笠原道大】
捕手から内野手に転向し、フルスイングで長打を連発し「ガッツ」の異名をとった日本ハムの小笠原。イチローと同じ1973年世代では、ホークスの松中信彦とともに世代をけん引する強打者だった。
2006年に本塁打、打点の二冠王になり、初のMVPにも輝いた小笠原はFA権を行使して、巨人に移籍した。清原が抜けて1年、巨人はまたパの大物選手を獲得したわけだ。
2007年、トレードマークのひげをそって新チームでの1年目に臨んだ小笠原は、31本塁打88打点、打率.313を記録。タイトルはなかったもののMVPに選ばれた。セ・パリーグをまたいでの2年連続MVPは、NPB初。
小笠原は移籍から4年連続で30本塁打以上、80打点以上、3割をマーク。巨人の絶対的な主軸として活躍したが、2011年に左ひざ、左手を負傷。この年から導入された反発係数の低い「統一球」への対応に苦慮し、以後、成績が急落する。
2013年はわずか22試合の出場に終わった。実質的に来季構想から外れた小笠原だが、球団は清原の先例を考え「戦力外通告」を控える。小笠原は「FA宣言」をして中日に移籍し、なおも2年、現役を永らえた。
村田修一は名球会目前だったのに
【村田修一】
横浜の村田修一は松坂世代の最強打者として、本塁打王に2回輝いた。2010年FA年限を迎えるも権利を行使せずチームに残留したが、翌2011年オフにFA権を行使して巨人に移籍した。原辰徳監督が「3割30本塁打」をノルマとして課した。村田は移籍から2年連続フル出場するなど、三塁手として試合に出続けたが、本塁打は激減。30本には一度も届かなかった。彼も2011年の「統一球」の影響があったと思われるが「打てない中軸打者」に批判が集まった。
2017年に2度目のFA年限を迎えたが、巨人は村田を自由契約にした。それはなぜか。

