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「なぜ甲斐拓也を金銭で!?」松井秀喜新監督→7日後に電撃トレード…“松井とW主砲”落合博満と清原和博、村田修一も「巨人大物FA組」非情の放出史
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広尾晃Kou Hiroo
photograph byHideki Sugiyama
posted2026/11/08 17:00
松井秀喜新体制となった直後、甲斐拓也の電撃トレードを発表した巨人。これまでもFAなどで獲得した大物選手を放出してきた歴史がある
【張本勲】
1975年、引退翌年に監督になった長嶋茂雄率いる巨人は、球団史上初の最下位に落ちた。長嶋巨人は自身の抜けた穴である「打線の中軸」を埋めるために日本ハムから張本勲を獲得した。張本は同い年の王貞治と「HO砲」を組んで大活躍。76年はV字回復を果たした。
張本は巨人移籍後、3年連続で3割を打ったが、79年には左目の疾患もあり出場数が減り成績も低迷。39歳になった張本は翌年の構想から外れた。張本は「史上初の3000本安打」に強い意欲を示すも球団は慰留せず。
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そのまま越年となったが、同じ韓国にルーツを持つロッテオリオンズの重光武雄オーナーが「うちで達成すればいい」と声をかけ、入団が決まった。張本は1980年5月28日、阪急の山口高志から本塁打を打って3000本安打を達成した。
清原獲得の裏で身を引いた天才・落合
【落合博満】
ロッテで3回の三冠王、トレードで移籍した中日でも本塁打王、打点王各2回と強打をふるった落合だが、巨人にFA移籍した1994年はすでに40歳。さすがに往年の打棒は見られなくなったが、それでも松井秀喜と3、4番打者を主に形成した95年、96年には3割をマークした。
しかし96年のオフ、西武の清原和博が「FA宣言」を行った。阪神の吉田義男監督が熱烈なコールを送り、長嶋茂雄監督も「僕の胸に飛び込んできなさい」と発言するなど争奪戦になるも、清原は巨人に移籍が決まる。
落合にとって清原は、新人時代からアドバイスをする親密な関係だった。清原本人は、巨人で落合のチームメイトになることを楽しみにしていたようだが、同じ内野手で、右の強打者である落合の立場は微妙なものになった。
96年11月28日、落合は記者会見を開き「清原とレギュラーを争って勝ち取る自信はあるが、自分か清原を使うかで悩む長嶋監督を見たくない」という名セリフを残して退団を表明。翌年、日本ハムに移籍し、1998年、44歳で引退した。
“松井の後ろ”を打つ清原の苦悩と、戦力外
【清原和博】
今見た通り、FA移籍に際して落合博満の「禅譲」によって、巨人の中軸打者になることが決まった清原。
松井秀喜との「MK砲」は大きな話題となった。しかし1年目こそ32本塁打を打ったが、以後は故障がちになっていく。

