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「俺が監督の間は勝たん。そして俺の次がワンちゃん(王貞治)だ」ダイエー新監督がいきなり明かした驚愕の策…「ON対決をやる。それしかない」 

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喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

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posted2026/06/25 11:03

「俺が監督の間は勝たん。そして俺の次がワンちゃん(王貞治)だ」ダイエー新監督がいきなり明かした驚愕の策…「ON対決をやる。それしかない」<Number Web> photograph by KYODO

ダイエーに全権監督として就任した根本陸夫(左)だが、自身の勝ち負けよりも先のことを見据えていた

 1993年にはミスター・プロ野球こと、長嶋茂雄が1980年以来、13年ぶりに巨人監督に“再就任”していた。だから何としても、王を博多へ引っ張って来る。東と西、セとパに分かれた2人のスーパースターの力で、Jリーグの勃興に対抗しようというのだ。

東京と福岡のドームでON対決をやるんだ

 根本は、瀬戸山にこう厳命した。

「お前の一番の仕事は、ワンちゃんを連れてくることだ。そのうち紹介するから、それをやれ。中内さんが、あんなすごい開閉式ドームを作ってくれたんだ。東京と福岡にドームがあるんだから、王と長嶋が元気なうちに、そこでON対決をやる。野球界は絶対に盛り上がって、人気回復になる。他に方法はないんだ」

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 根本の紹介で、瀬戸山は王に初めて会った。それから月1回、瀬戸山と王が会食の場を持つことになったのは、根本が「とにかく会え。会うということは、可能性があるんだ」と背中を押し続けたからだ。

 そのわずかな“脈”を頼りに、瀬戸山は王に監督就任への熱意を伝え続けた。

「東京ドームには長嶋茂雄さんという長男がいる。王さんは、福岡ドームの長男になってくれませんか」「中内オーナーは、王さんのために福岡ドームを作ったんです」

 瀬戸山は、根本から託されたという“口説き文句”を、王に何度となく、必死になってぶつけた。東京生まれの東京育ち、福岡には縁もゆかりもなかった王も、次第に、戦いの舞台へ戻ってみたいという衝動が、自らの心の中に湧き上がって来るのが分かったという。

「やっぱりね、物足りないんだよ。あの輪の中でときめいていたい、という気持ちになるんだ。あの輪の中にいたい、っていう気持ちが、1年ごとに強くなってくるよね。これは僕だけじゃなくて、他の人たちもみんなそうだと思うよ。今度やったらこうしよう、とかいうのも出てくるじゃない。みんなが通った道を、やっぱり自分も通って来た。それがパ・リーグだった、福岡だった、というだけの話でね」

 王が中内と会い、監督就任の要請を快諾したのは、1994年7月のことだったという。

つづく

#5に続く
「バカ野郎、俺が勝っても何ともならん」ダイエーは負けても負けても「これでいいんだ」!? 剛腕でチーム再建へ、根本陸夫監督の“深謀遠慮”とは
この連載の一覧を見る(#1〜6)

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