博多の人・王貞治BACK NUMBER

「この人は何を言っているんだ、と」1993年、王貞治が仰天した“現監督からの就任要請”…「東京、大阪もあった」オファーからホークスを選んだ理由 

text by

喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

PROFILE

photograph byTadashi Shirasawa

posted2026/06/25 11:01

「この人は何を言っているんだ、と」1993年、王貞治が仰天した“現監督からの就任要請”…「東京、大阪もあった」オファーからホークスを選んだ理由<Number Web> photograph by Tadashi Shirasawa

現場を離れていた王に、ダイエーの現監督である根本陸夫から「次期監督に」と仰天の勧誘が……

「ユニホームを着て、ずっと30年いたんだよ。そこから外れると、何か、疎外感みたいなのがあるんだよね。輪の中にいたんだけど、自分がいないところでも、野球界が動いていくじゃない? そういうのって、やっぱり、その中心でやっていた人間ほど、物足りなさというのかな、そういうのを感じるんだね。

 何だかんだ言って、いいことも悪いことも、すべて“そこ”で起きてくることなんだけど、その輪の中にいるのと、輪の外にいるのでは全然違うんだ。それを、外れてみて、年々強くなってくるんだ。やっぱり、あの輪の中に入りたい、っていう気持ちがだんだん出てくるんだよ」

この人、本気なのかな

 巨人監督を退いた直後から、王のもとには監督就任のオファーが相次いでいた。

ADVERTISEMENT

「東京だの、大阪にも、っていう話はありました。でも、辞めてすぐの時だったりとかで、いわゆる機は熟していないような状態だったね。だけど、根本さんに言われた時だね。断ったんだけど、何か、そういう話を真剣に考えるようなものが、自分の中でちょっと芽生えてきた、ということだね。そのきっかけを、根本さんにもらったというかな」

 戦いの舞台からしばらく離れていた王の心境を、静かな湖にたとえてみれば、根本から「監督」という小さな石を、その湖面にポトリと落とされたことで、波紋がスーッと全体に広がっていき、再び、心がざわめき始めた、といったところだろうか。

 その“王の揺らぎ”を、根本は見逃さなかった。

「その次の年も、根本さんはまた言うんだ。なんだ、この人、本気なのかな、と」

 そしてこの時期、根本と王の間をつなぐ“使者”となり、監督就任への下地を整えていったのが、後にダイエーの球団代表として、チームの成績が伴わなかった監督就任直後の苦難の時期に寄り添い、王と共に歩んでいくことになる瀬戸山隆三だった。

つづく

#3に続く
「もう、ロッテは断れ」「神戸には、熱がない」ダイエーはなぜ南海を買収し、なぜ福岡を選んだのか…福岡ダイエーホークス誕生の“内幕”
この連載の一覧を見る(#1〜6)

関連記事

チェックを入れてボタンを押すだけ
Google検索
Number Webを見つけやすくする
BACK 1 2 3 4
#福岡ソフトバンクホークス
#福岡ダイエーホークス
#根本陸夫
#瀬戸山隆三

プロ野球の前後の記事

ページトップ