博多の人・王貞治BACK NUMBER
「この人は何を言っているんだ、と」1993年、王貞治が仰天した“現監督からの就任要請”…「東京、大阪もあった」オファーからホークスを選んだ理由
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byTadashi Shirasawa
posted2026/06/25 11:01
現場を離れていた王に、ダイエーの現監督である根本陸夫から「次期監督に」と仰天の勧誘が……
ダイエーの創業者であり、球団オーナーの中内㓛は、西武にいた根本を「監督兼球団取締役」として、現場と編成の全権を与えることでダイエーへ招聘した。
王は、1993年のある日、シーズン中に根本から会食の誘いを受けている。「次の監督をやってくれ」と“禅譲の打診”を受けたのはその時だったと、王は証言した。
「最初は、根本さんの監督1年目だよ。監督している最中、シーズン中に会ったときに僕にそういう話をしたから、うーん、根本さんは何を言っているんだろうと。その時は、はっきり言って、寝耳に水だったね」
グラウンド外での野球振興活動をすでに始めていた王だが……
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1988年を最後に、王は巨人のユニホームを脱いだ。今や、王のライフワークともなった「世界少年野球大会」は“浪人中”だった1990年にスタート。王が本塁打の世界記録を更新するまでメジャー最多となる755本の本塁打記録を保持していたハンク・アーロンとともに立ち上げた同大会は、2026年夏に千葉・成田で32回目の開催を迎える。
時を経て、2025年5月に王が代表となり、一般財団法人「球心会」を立ち上げたのも、プロとアマの垣根を越え、国内の諸団体が連携を深めることで、野球人口の減少が懸念されている中で、さらなる普及と振興を図りながら、未来に向け、こうした諸問題に対しても野球界が一体となって取り組んでいこうという、王の切なる願いが込められている。
野球の楽しさを世界中の子供たちに伝えたい。野球というスポーツを世界中へ広げていきたい。その壮大なミッションに、やりがいと使命感を当時から強く感じていたのだ。
それでも、1993年当時の王は53歳。まだまだ、気力も体力も充溢している。体中にアドレナリンが駆け巡るような、あのヒリヒリした緊張感の中で、戦いの現場に再び立ってみたいという、野球人としての本能はそれこそ“現役バリバリ”のままだった。

