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原晋監督の金言「走りたくても走れない選手がいる」青学大OB・岡崎隼也に聞く“33年ぶり”箱根駅伝出場にかけた青春「人生でこんなに喜べる瞬間が…」 

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小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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posted2026/01/11 11:27

原晋監督の金言「走りたくても走れない選手がいる」青学大OB・岡崎隼也に聞く“33年ぶり”箱根駅伝出場にかけた青春「人生でこんなに喜べる瞬間が…」<Number Web> photograph by AFLO SPORT

青山学院大学が33年ぶりに出場した2009年の箱根駅伝。努力の末に辿り着いた晴れ舞台は、当時のメンバーに何を残したのか?

今も残る言葉「感動を与えることのできる人間に」

 卒業後は地元の広島に帰って、広告会社の営業職に就いた。そこからは「転職が趣味のひとつ」と語るように、様々な職を経験している。もし陸上の道に進んでいなければ「美大に通いたかった」というほどのクリエイター気質で、ある時期に一念発起し、本格的にデザインを学んでアメリカでも約3年間実務を経験した。まさに、社会人になってからの武者修行を経て、現在は教育業界のデザイナーとして活躍中だ。

 慶應義塾大の大学院でシステムデザインを学ぶ大学院生でもあるが、学生時代の経験が生かされていると思うのはどんな時だろう。

「どれだけしんどくても、努力すれば必ず結果は出ると実体験でわかっているから、しんどいことへの耐性はあると思います。仕事をしながらデザインの勉強をして、すごいしんどかったんですけど、好きなことをやれているので苦ではないんですよ」

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 思い出したように、こう付け加える。

「監督がよく言っていた言葉で、『感動を人からもらうのではなく、感動を与えることのできる人間になろう』っていうのがあるんです。それはすごく大事にしていて、今でも僕はそこを目指している気がします。箱根を決めた瞬間って、本当にたくさんの人が喜んでくれた。社会に出てもそれができるんだろうかっていうことはつねに考えますね。大学時代の思い出って鮮烈で、今でも青学大のカレッジソングは間違いなく歌える。慶應の『若き血』は歌えないですから(笑)」

 17年前に、これだけの思いを抱いて箱根路を駆け抜けた先輩がいた。今の青学大の強さは、OBたちが必死で築いた、分厚い礎の上に成り立っているのだろう。

<全3回/#1#2とあわせてお読みください>

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「原晋監督の優しさを感じました」“箱根駅伝で最下位を走った”青学大ランナーの苦しみ「人生で一番しんどかった…」“33年ぶりの箱根”岡崎隼也の記憶
この連載の一覧を見る(#1〜3)

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