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「お前はやるべきじゃない」と言われても…800m日本王者は、なぜ箱根駅伝(約20km)に挑んだ? 田母神一喜が語る“異例の転向”の真相
posted2024/01/07 06:01
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph by
Takuya Sugiyama
2016年に箱根駅伝の連続出場が87回で途切れた中央大学。その年に入学し、1500mなど中距離で活躍していた3年生・田母神一喜に藤原正和駅伝監督からあるオファーが来る。「チームに戻ってきてくれないか」。卒業後の2021年に800m日本王者となる中距離ランナーの足は、最終学年で駅伝へと向かう――。(Number Webノンフィクション全3回の第2回/初回はこちら)
11位のチームから加入を求められる
「確か、大学3年の1月ですね。堀尾(謙介、プロランナー)先輩らがいる中で、シードが取れると言われながら11位だった。もう一つ上に行きたいけど、何かが足りない。僕らの代って弱かったので、舟津(彰馬)だけが力を持っていて、やり合う相手がいなかったんですね。それで寮に戻ってきてほしいということだったんですけど……」
そう簡単に返事はできなかった。戻れば環境も変わり、中距離に特化した練習はできなくなる。一方で、その期待に応えたい自分もいた。どうしようかと迷っていたとき、ヒントをくれたのが横田(真人)コーチだった。
「話をしたときに、今の環境は誰が作ってくれているんだということを言われたんです。大学の外に出て、お金も出してもらって、こんな環境を許してくれる大学は他にないぞって。確かにそうだなと思って、いただいた恩をここで返そうと。それで2月に寮に戻って、主将も引き受けました」
じゃあ、思い切って箱根をやりなよ
舟津の負担を軽くする目的もあったのだろうが、監督は新キャプテンに田母神を指名した。茨の道の始まりだった。