NumberWeb TopicsBACK NUMBER
「学法石川が遅れています!」NHK実況も困惑…《全国高校駅伝で初優勝》福島・学法石川"奇跡の世代"はなぜ都大路で敗れた? かつての「最強軍団」秘話
posted2025/12/24 06:04
全校高校駅伝で初優勝を果たした福島・学法石川高校。実はかつても優勝候補の筆頭に挙げられた「黄金世代」があった
text by

NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
JIJI PRESS
「日本選手権のチャンピオンが3人。箱根駅伝で区間新記録を樹立した人が2人。こんなチームは今も昔もなかなかないんじゃないですかね」
2015年の全国高校駅伝に臨んだ福島・学法石川高のキャプテンを務めた阿部弘輝(現・住友電工)は、今でもそう振り返る。「ガクセキ」の愛称で親しまれる同校には、後に800m日本チャンピオンとなる田母神一喜、5000m日本チャンピオンの遠藤日向、1万m日本チャンピオンの相澤晃らが集結。まさに奇跡のメンバーが揃っていた。
“奇跡の世代”を生み出した独自の練習法
当時の学法石川の強さを支えたのは、松田和宏監督の独自のトレーニング哲学だった。一般的な駅伝強豪校と異なり、ロードをほとんど走らないスピード重視の練習方針を貫いた。
ADVERTISEMENT
「(県内のライバルだった)田村高の練習は"量"をやると聞いたので、差別化するためにもうちはスピード系の練習をメインにやっていることをアピールしました」と松田監督は話す。
当時の主力選手は全員が福島県内出身で、中学時代に全国大会出場経験があったのは相澤と遠藤だけ。多くの選手が同校で力をつけた。顕著な例が田母神だ。中学では野球部だった彼は、入学当初、男子の練習についていけず女子と練習していたという。それが2年後には世界ユースの日本代表に選ばれるまでに成長した。
「中学は特設の陸上部だったので、本格的な練習をやったことがありませんでした」と田母神は当時を振り返る。
1年下の遠藤の加入も大きな転機となった。「中学で日本一になった日向が鳴り物入りで入ってきて、みんな"日本一を狙うのが当たり前"という目線になっていった」と田母神は語る。松田監督も「日向が入ってきて、チームの雰囲気が変わりましたね」と認める。
こうした独自のトレーニング環境と福島に集まった逸材たちの化学反応により、学法石川は全国から注目を集めることになる。
だが、その視線が「質量ともに、この当時は一番練習をやっていました」と田母神が語る黄金世代に、ほんの小さな綻びをもたらすことになる。なぜ彼らは、都大路で勝てなかったのか――その“意外な理由”は本編で描かれている。
◆
この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。
