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「親にも言うな」セオリー破壊の区間配置で初優勝…17年前、全国高校駅伝“超名門校”の原点を現監督が回想「今考えても、最強世代だった」
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高見澤勝Masaru Takamizawa
photograph bySaku Chosei Senior High School
posted2025/12/25 17:01
今や全国屈指の強豪校となった佐久長聖高が全国高校駅伝を初制覇した2008年。村澤明伸、大迫傑を擁し「佐久長聖史上最強世代」と高見澤勝現監督は振り返る
1区を任せた千葉健太もインターハイ5000mで入賞(7位)した実力者です。1区でトップ争いをして、3区の村澤がケニア人留学生を相手に食らいつくという構想でした。1区の千葉は仙台育英・上野選手と2秒差の2位で発進すると、2区の松下巧臣で1秒差に。3区の村澤は日本人歴代最高タイム(当時)の23分38秒で走破して、クイラ選手との差を31秒で食い止めました。
4区の平賀翔太も日本人トップの快走。終盤は5区の藤井翼、6区の佐々木寛文、7区の大迫傑と3連続区間賞で、仙台育英を逆転して、突き放しました。両角先生が思い描いていた通りのレースになって、2時間2分18秒の日本高校記録(当時)で初優勝を飾りました。
今振り返っても「最強世代」だった
後半区間に関しては自信がありましたね。当時、仙台育英高校・清野純一監督は、「佐久長聖に並ばれたら無理に追わなくていい」と指示していたそうです。それくらい佐久長聖の後半区間はライバル校から見ても脅威だったと思います。
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チームとしては「優勝」以外考えていなかったので、悲願の初優勝でしたけど、両角先生は「やったぞ!」という喜びよりも、ホッとしていた部分が強かったように感じました。
今の立場になっても、佐久長聖高校駅伝部の「最強世代」は2008年のチームじゃないかなと私は思っています。それくらいすべてにおいてハイレベルでした。このことは今の子どもたちにも言っています。
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