箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「親にも言うな」セオリー破壊の区間配置で初優勝…17年前、全国高校駅伝“超名門校”の原点を現監督が回想「今考えても、最強世代だった」
text by

高見澤勝Masaru Takamizawa
photograph bySaku Chosei Senior High School
posted2025/12/25 17:01
今や全国屈指の強豪校となった佐久長聖高が全国高校駅伝を初制覇した2008年。村澤明伸、大迫傑を擁し「佐久長聖史上最強世代」と高見澤勝現監督は振り返る
なお佐久長聖の選手たちと練習するなかで、2008年は8月の北海道マラソンに出場。2時間12分10秒の自己ベストで優勝しました。実業団時代以上の結果を残すことができて、不思議な気持ちになりましたね。2010年は4月の長野マラソンと8月の北海道マラソンで日本人トップになっています。
全国高校駅伝で悲願の初優勝
前年は1区の村澤明伸がケニア人留学生を追いかけるかたちで29分46秒の区間4位(日本人2位)と快走。ライバルの仙台育英高校・上野渉選手に34秒差をつけました。3区の佐々木寛文も24分05秒の区間3位と好走しましたが、仙台育英のポール・クイラ選手に区間タイムで51秒の大差をつけられ、逆転を許しています。
全国高校駅伝はこの年(08年)から留学生を最長10kmの1区に起用できなくなり、留学生は上り基調の3区(約8.1075km)に起用するチームが増えると予想されていました。そういう状況のなかで両角先生は早い段階で“勝つためのオーダー”を考えていたんです。
ADVERTISEMENT
村澤はどのレースでもフロントランナー的な走りをしていたので、1区に行けばレースを引っ張ることになります。全国高校駅伝はエースを1区に置くというセオリーを壊して、絶対エースを3区に配置するオーダーを組みました。村澤の3区は長野県駅伝を勝った後、11月中旬には決まっていたと思います。ただ選手たちには大会前日の区間エントリー発表まで、「親にも言うな」と両角先生から箝口令が敷かれていました。どの方が見ても「エッ?」と驚くようなオーダーだったと思います。

